Don Juan・HIDEKIの墓参り / 562

もう夏だな。天気が良いし、木々が一斉に若葉をつけはじめ、まだ遅咲きの桜も愉しめる。緑の多い横浜でも特に妙蓮寺は、新緑が鮮やかな気がする。そんな陽気に誘われて、今年初めて山田英幾さんの墓参りに家族3人で出かけた。家族でいくのは3年ぶりかな。去年のクリスマス前に行こうとしたが、卒論指導や退職前の雑務に追われ断念。今年2月は、予定していた前々日に娘がインフルエンザに罹り、続いて私、家人と一家全滅状態で、ノビノビになっていた。4月20日が命日だが平日だし、23日は娘の陸上競技大会があり、八王子まで応援に行くため、3人のスケジュールが一致したこの日になった。

  去年お墓の管理人から、「食べ物を置いて帰ると烏が来るので、持ち帰って下さい」と注意されたので、缶詰やチーズ、フランスパンの類いは止めて、袋詰めとハイボールの缶にした。まぁ今さら山田さんも「あれが良い、これにしろ」とは言わないだろうから、お墓近くのセブン・イレブンで買う。ところが、困ったことに墓地の途中にあった花屋さんが、「4月2日をもって閉店」の貼り紙。「あっちゃ〜」と思いつつも、たしか墓地の入り口でも花は売っていたと思い出し、バス通りまで戻らなかった。

 お墓はキリスト教専用区域の中にある。住所としては<横浜市中区大芝台27−4>と写真撮影したときに表示された。以前にも書いたかも知れないが、みなとみらい線の終点、横浜元町駅から地上に出て、タクシーに乗って「太平町のT字路を左に曲がって2つ目の信号」で降りれば、お墓に通じる入り口だが、一つ前の信号で降りるとセブン・イレブンがある。先ほどのバス通りから右折して、ずんずんまっすぐ行き、突き当たりを左に曲がる道を、道なりに行くと右手に墓石屋さん、左に墓地の階段が見えてくる。

〈村上家のお墓の前を右折してまっすぐ30メール〉

   

   花は内容の割にはびっくりするほど高かったが、労を惜しんだのだから仕方あるまい。もし墓参りに行ってやろうという人は、何も持って行かなくても喜ぶと思うけれど、もし花を買うのなら、町中の花屋さんの方が種類が多く、綺麗な花が同じ値段以下で買い求められると思うので、そちらを勧める。

  ブラシと自宅から持ってきた石鹸で、娘が三助のように墓石を洗う。家人も慣れた手つきでゴシゴシ。私は、山田さんとの思い出話を2人にしながら、たまに水をかける。大学を去る際、研究室に置いてあって山田さんの遺品が入った段ボール箱を整理した。以前は、T橋宗ちゃんの猿楽町の超広いマンションの4畳半に置かせて貰っていた。山田さんの義理のお母さんからは、「一平さんが自由に処分して下さい」と頼まれていたが、置けるスペースがあったので大学に持ってきていた。

  今回整理する際に出てきた紙資料や大量の米軍機や自衛隊機の写真やVHSは処分した。ただ学生時代、鹿児島時代、政治部時代、ワシントン特派員時代の写真は判断に迷った。残す人がいない、というか一人息子のT大君と連絡が取れないので、意味不明のものは処分し、残りは取りあえず保存してある。亡くなる直前、山田さんは毎日毎日T大くんの行く末を心配していたが、別れた奥さんに親権があるので、親友とはいえ私には何も出来なかった。彼はもう25〜6歳のはずだ。もちろんT大君と一緒に嬉しそうに笑うツーショットは残してある。

  それにしても数多の写真に出て来る彼女たちは、いずれもモデルか女優のような美形ばかりで、特に一番心を許していたんだろうなと思われるK応時代の彼女は、山田さんにお似合いの典型的な山の手のお嬢さん風の美人だった。ワシントン時代の写真では、その彼女がりりしい美しさに成長していた。彼女は葬儀の時にも来ていた。そのほか諸々の写真の束の中には、驚きのツーショットも多々あり、知り合ってから30有余年になるが、初めて知る真相が多すぎて、まさにDon Juan・HIDEKIの名に恥じない、羨ましい限りの交友関係であった。

  帰りはバス通りに出て、神奈川近代文学館に「正岡子規展」を見にいった。私は15〜6年前に、子規にハマった時期があった。いまでは『病牀六尺』や『墨汁一滴』などKindle版だとタダで読めるモノも多い。『酒』をダウンロードする。「子規展に行きたい」と言い出したのは家人で、ちょうど1年ほど前から、いつも読んでいるのが子規の作品だったり、伊集院静さんの『ノボさん』だったりした。

   それにしても子規の周囲の人たちは、実によく尽くしている。そこには利害など全くなく、尊敬、敬愛から自然と集い、喜びも悲しみも共有していた。「おれも小島晋治先生に対しては、全く同じ気持ちだな」とひと言つぶやいたら、家人から「何でも自分と重ねたがる」と一笑に付された。

スポンサーリンク

フォローする

スポンサーリンク