センバツ、あまり書けない話 / 540

    このブログの読者は、概ね私の古くからの親しい友人や知人、元同僚達、たまたま弓立社の会社案内を観てくれるような気の好い方々、300人足らずと思っているので、何を書いてもいいようなモノなのだが、高1、いやこの4月から2年生になる16歳の娘に叱られると拙いので、さわりだけ横顔を紹介する。

 

     昨日のセンバツには、娘と同じクラスのN村大樹三塁手やその友人のY山幹太捕手、中学3年生の時のクラスメートのN田優人遊撃手ら2年生(センバツでは4月前でも2年生と表記)が大活躍したが、応援しながら観ている方も疲れた。

  実はこの試合、当初は23日予定だったが雨で順延、娘は昨日23日まで合宿中だったから甲子園に直接応援に行けなかった。が24日なら私は空いているのだが・・・と思ったが、合宿から帰るとそのまま晩ご飯も食べず、自室のベッドで泥のように眠ってしまい、起きてきたのは24日朝の9時過ぎだった。陸上部の合宿も相当ハードだったようだが、手を抜くことを知らない(そう、私の娘とは思えない性格で、いつも全力投球娘なのだ)。ということで、一緒に朝ご飯を食べた後、11時過ぎから2人でテレビ画面を前に応援観戦になった。

    小学生の時は春の選抜で、生まれて初めて親子3人甲子園に出かけた。中学生の時は夏の大会だった。暑くて暑くて私は清涼飲料水ばかり呑んでいた。それを考えるとテレビ観戦は楽で好い。が臨場感が全くないのは当たり前か。

  娘も小学生の3年生の時から地元の少年野球チーム「横浜キッズ」に入り、6年生の時にセカンドになって、対外試合にも参加していたから、野球は詳しい。中学では、女子野球部には入らず、小学校の学内クラブ活動で続けてきた陸上部長距離女子に入部、3000メートルや1500メートルを走っている。毎日練習で12キロ走るというから、内心「俺だったら死ぬわ」と驚いているが、余計なことをいうとすぐムキになるので、静観している。

   
   

  その運動部同士で仲がいいということもあるのか、N村君は高1になったばかりの頃から夕飯の話題に登場していた。というのも1学期は目の前、途中から左、2学期も右と席替えのたびごとに隣の席だったからだ。はじめは「D志社って学校知っている?」と娘に訊かれて、「関西ではK西学院と並ぶ、私立の名門校だよ」と話したのが切っ掛けだった。何でも「今度隣の席になった子は、D志社中学出身で、シニアリーグ上がり。当初関西の野球の強い高校に行くつもりが、S実に合格できたのでお母さんと一緒に上京してきた」というのを聞いて、驚いた記憶がある。そのうち1年生なのにあっという間に4番の主砲となり、1学年上のK宮幸太郎君には及ばないモノの、必ず「3番K宮、4番N村」とメディアに紹介されるようになった。

   とても明るく、昼ご飯の時など横で大きな弁当を食べながら、自然話をするようになったそうだ。休み時間には、関西シニアリーグ仲間のY山君が遊びに来るので、彼とも話をするようになったそうだ。Y山君はN村君と同じマンションで暮らしているというから、彼にも母親が付いてきているのかな。可笑しかったのは、週刊Fライデーだったか、週刊G代かにN村君が紹介されたとき、「我が家にあるのを持って行ってやれ」と言ったら、「出ている雑誌は取材した出版社から全部送ってくるらしいよ。でもHな写真の所とかは、お母さんがテープで留めて読めなくしてあるといっていた」というのに大笑いした。ウチなんか小学5年生の時から性教育だと思って、部屋中に投げてあるけど。

   そのN村君は、いつも関西弁のひょうきんな気の好い奴らしく、自分で「グランドでは監督に叱られ、教室では担任に叱られ」と周囲を笑わせるという。娘は、教室でN村君が叱られるのを見た記憶はないらしいが・・・。「練習で疲れて、勉強も大変だろうなぁ」とさりげなく訊ねると、「休み時間は疲れて眠っていることもあるから、大丈夫だよ」という。そういう切り替えが重要なんだな。

  N田君は、中学の時の組長。勉強も出来ると言うことだ。「シニアと違って少野出身でS実のレギュラーだから大したもんだよ」と娘は自慢する。少年野球つまり少野は、中学のクラブ活動のいわば軟式野球部のことらしい。巧い選手は、小学校でリトルリーグに参加し、中学校でシニアリーグと、学校に関係なくチームごとに競い合って腕を磨き、高校野球を目指すと言うから、少野は少し野球のエリートコースと違うようだ。そのN田君が大活躍だったので、娘も興奮気味で、9回N村君の四球で同点、10回N田君のヒットで勝ち越し、Y山君も活躍したので大満足そうだった。

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