忙中閑あり / 532

 今月は、日中は片付けと掃除に忙殺される日々が続いていることは昨日書いた。しかし夜は何かと飲み会が多い。というのも4月から九州地方へ旅に出るので、声がかかると3月中に済ませておきたいという意識が働くからだ。13日はA日やテレTの3人と、翌14日はR創社やフリーの編集者と、15日はN協会社会部の後輩G千恵(となぜか誰もが短縮形で、しかも呼び捨てにする)と作家のH谷鏡子さん主催で「定年を祝う会」を新橋のビアライゼ98でやって貰った。

  

                 <写真はいずれもビアライゼの紹介ページから引用>

 ビアライゼは知る人ぞ知る「日本一美味いビールを呑ませる店」だ。N協会時代、週刊S潮にないことないこと特集で書かれて、当時のE沢勝二会長の逆鱗に触れ、あえなく失脚。3年間社会部を離れていたとき、仕事が午後3時には終わってしまうので、当時は午後4時から開いていた同じ新橋の旧店にしばしば通って、店主のK平さんと一平の「平平」繋がりで親しくなった。

  浅草にあるアサヒビールまで一緒に試飲に連れて行ってもらったこともある。たしかいま仙台の局長をしているN村睦生君も一緒だった。BPOにいるT橋宗ちゃんもそかも。H谷さんもいたな。この店のメンチカツは何度も雑誌に取り上げられているほど有名で、実に美味い。誰もが感激する。これがビールと実に合うのだ。

  さて主催してくれたG千恵は、昭和天皇崩御の時に終日解説をした、あの彼女だ。大分の一回り以上後輩だが、彼女に会う4年も前に、私は彼女のことを知っていた。というのも小島晋治先生と、その親友で『現代の理論』を主宰していた安藤仁兵衛(通称安仁)さんと靖国神社近くの焼き鳥屋で呑んでいたとき、「今年N協会に凄く優秀な学生が入ったんだ。いま福岡にいる」と聴かされたからだ。かの安仁さんをして「凄い!」と言わせる理由は、彼女が書いた「丸山真男論」を読んだ丸山先生ご本人が、「この論文は、学生の論文とは思えないほど優秀で非常にレベルが高い」と絶賛されたと聴かされたからだ。

  異動で東京に来た彼女と初めて会ったときは、ひょうきんな醤油系のべっぴんさんという印象しかなく、失礼ながら丸山先生をして「優秀」と言わせたとは思えなかったが、次第に頭角を現し、なるほどと確信した。いまは社会部を卒業し、研究所の研究員と兼務で解説委員として社会福祉や就労の分野で活躍している。

  H谷さんは、私が彼女の父親と偶然親しくなった縁だ(既に書いたかも知れない)。というのもS名誠さんがゲストの「S名誠監督の『白い馬』を観て語る映画の会(=S潮社とB藝春秋の編集者が主催する『新春会』)」で、私の挨拶を聴いた父上が、突然私の席に酒を持って現れ、「あんたは私と同じ臭いがする」と交流を求めてきた。小島先生と同じ歳だから、ご存命であれば数えで90歳だが、3年前に亡くなられた。その時は丸亀まで見舞いや葬儀に出かけた。

  話をしていて私がN協会の記者だと知ったお父上はビックリ!「ウチに娘もN協会ですねん」と。以来彼女が118回A川賞の最終候補になった時の幹事役を引き受けたり、ご夫妻が花見で上京してくるといえばおつきあいし、旧制高校(松山高校OB)の同窓会でまた上京すると聞けば、同じ旧制高校出身の小島先生(水戸高校OB)を引き合わせて奥様と4人で呑んだりと、娘抜きで付き合ってきた。だから彼女の方から何か「手伝って欲しい」というような用事でもない限りは、声もかからないし、かかっても「枯れ木も山の賑わい」的要員にすぎない。だから2人で呑みにいったことは片手で数えるほどしかない。そうオリンパスM1を貰ったときとか。あれも何かの会の流れだったかも知れない。

  飲み会での話題は、日本の女性の働き方や雇用、女性を巡る職場環境の問題点など、私のいつもの与太話ではなく、現役記者の「今を斬る」的な話が聞けて面白かった。作家の話も旧態依然している女性に厳しい現実社会から、森友学園、稲田防衛大臣など話題は尽きなかった。N協会は、私のような”呑んだくれ”のだらしない無内容なおっさんばかりではなく、シャープな、しかも明るく爽やかで好感度抜群の彼女たちのような人材も多数抱えているところが凄いし、それが職員11000人の持てる力かも知れない。

  

 定年の記念に「岩井(=祝い)つづら」と木綿の手織りのマフラーを貰って、早速着用して帰った。江戸時代から愛されているつづら、子どもの頃越中富山の薬売りのおじさんが、大きなつづらを担いで家々を廻っていたことを思い出させた。大学の講義と同じ90分で切り上げた。G千恵が翌翌日に深夜の「解説スタジアム」に出演すると聞いていたので、準備もあろうと思ったからだ。というか最近の私は、呑む時間も講義時間(都市大は100分、T経大、C央、W稲田は90分)を目安にしていて、大体1コマ止まりで、長くても2コマまではよほどのことでもない限り呑み続けない。これだと翌日も快調である。それに長時間座っていると翌日脊柱管狭窄症が再発して30歩も歩けなくなるからだ。新橋から横浜経由で40分ほど、午後8時半には帰り着く。なかな好い呑み会であった。

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