小笠原 島便り2017(26)山に戻る <最後から2番目の便り> / 628

先ずはご挨拶。6月29日から再び「森の生活」を始めました。小港地区の、つまり山に戻って来たことで、全くネットや携帯電話、私の場合はauですが、通じないためブログをアップすることが至難の技です。このブログも明日街に出ればアップ出来るでしょう。既に“ガイドブックでは分からない”父島の80%はご紹介できたのでは?と勝手に思っています。話が重複するのは物書きの端くれとしては、如何なものかと考え、この辺で<小笠原 島便り>の幕を閉じたいと思います。26回に亘って読んでくださった我が友人、知人、たまたま目にされた皆さん、ありがとうございました。 

超快適な自炊ホテル  【ナインボール】

▼「ホテルナインボール」は、すこぶる快適な自炊ホテルだった。唯一の難点は、調理をする場所がなく、ガスコンロの上にまな板を置き、そこで魚や野菜を切ったり、挽肉に片栗粉をまぶしたりして準備するという、かなり行動が制限されるところだ。これもキャンプの延長だと思えば気にもならなくなる。とにかく、このホテルにしたの我ながら大正解。初めての人には、超「お薦め」だ。 これで6000円は素晴らしい‼︎ 

南国酒場コモ   亀料理の店

▼前夜(6月28日)は、街中で過ごす最後の夜だったので、すぐ下の「南国酒場 コモ」で亀料理を食べた。と言っても刺身と煮込みだけだが。この手のものは、嫌いではないが積極的に好きなわけではない。以前寿司屋「丸丈」で亀のチャーシューを食べたが、これと同様それなりに美味かった。後ろの席にT田真由子様風に大声で喋りながら、タバコをパカパカ吸うおばさま軍団がいたので、少し気分が悪くなって早めに出た。 
▼開けて6月29日。午前7時から大掃除をした。立つ鳥跡を濁さず。ピッカピッカにしたころ、再びお世話になる「シャンティバンガロー」のご主人F沢さんが荷物を取りに来てくれた。私は1つの大きなキャリーバッグに何でもかんでも詰め込んでいるので重い。ナインボールを予約した時は、2階建てで急な階段だとは思いもよらず、この日も「さ〜て、どうしたもんじゃろなぁ〜」と途方にくれていた。だが、F沢さんはいとも簡単に、「いいですよ、私が持って降りますから」と、20日に来たとき同様、ヒョイと持ちあげてくれた。 嬉しい。


自然回帰なら【シャンティバンガロー】

▼実は街中の別のホテルに移住する手もあったのだが、わざわざ24時間かけて小笠原までやって来て、「小笠原のホテルオークラ」に泊まってもしょうがないだろうと<自然回帰>が売り?の「シャンティバンガロー」に戻ることにしたのだ。29日は入港日とあって「午前9時に出て下さい」とナインボールの女主人に言われていたので、荷物はF沢さんにお任せして、私は釣り道具とシュノーケルだけ持って青灯台に出かけた。釣りを終えた2時間半後に、《ギョサン》(ゴム草履)の片方を無くしていることに気づいた。「あれっ!!参ったな、気に入っていたのに・・・」と思いながら街中をぶらぶらしていたら「あった!」スーパー小祝の横のベンチの上に誰かが置いてくれていた。釣り道具屋「おつかめ屋」の亀太朗さんの言葉通り「小笠原で忘れ物しても見つかりますよ、誰も持って行きませんから」を改めて思い出した。 

ギョサンと羽アリの残骸

▼昼過ぎのバスは小学生ばかりで混んでいて、扇浦海岸の先まで立ちっぱなし。珍しい。何かの小学校の行事だったのか。運転手さんとはもう顔馴染み。「シャンティですね」と言われる。懐かしの我がバンガローに帰ると直ぐにシャワーを浴び、扇風機の「強」のボタンを押す。そうシャンティバンガローは全て<自然回帰>だから、エアコンなんて“軟弱”なものは無い。それに扉と窓を開け放していると涼しい風が自然と流れ込んで来て、だんだん微睡んでいく。 


▼夕方、この日の便で来た隣の部屋の住人を見かけた。20代の男性2人に同じ歳くらいの女性が1人。川の字で寝るのかね?いいえ、隣は2段ベッドが2つあるから・・・なんて余計なお世話か。男性の1人と食堂であったときに、「横浜の小俣です」と挨拶したら、「あぁ、どうも」で終わりだった。私は気にしない。前の大学は、95%以上が、こんな調子で全く挨拶できない学生ばかりだったから。授業中何度も「挨拶ができないのは、自分に自信がない証拠だ!!!!」と吠えていたが、改善は見られなかった。社会に鍛えて貰えば、どうにかなるのかね〜。 
自然の楽園

トカゲ? ヤモリ? 夜鳴くんだよね〜

食堂の前で  可愛いお出迎え

▼夜は例によってF沢さんの「羽アリ警報‼︎」を久しぶりに聞いた。懐かしいな。しかも次にガマガエル軍が何匹、いや何十匹とご挨拶に出て来た。東京から1人で来たという別の20代の女性は、「私、ゴキブリよりカエルの方がもっと苦手なんです。怖い〜」と半ベソ。「じゃおじさんが追っ払ってあげよう」と露払いをしてあげた。私のように<自然回帰>派、<森の生活>派には、最高の環境だし、住み心地もいい。随分長期に滞在している人もいるぐらいだから、羽アリやカエルなんて慣れればどうってことはないだろう。ただどうしても苦手の人もいるから、キチンと情報開示した方が賢明だし、信頼も高まると思う。まぁ余計なお世話か?  <森の生活>を望む人は少なくないはずだが・・・。6月最後の朝は、またまた島鶯の声で目覚めた。扉を開けっぱなしにしてあるので、寝たままで鳥たちがハイビスカスの花の蜜を吸いに来ている様子が窺える。今日は再び境浦海岸にシュノーケリングに出かけた。海岸の上の崖に、6〜7匹の黒い山羊が「メェーメェー」鳴きながら、私の方を見下ろしている。やはり「山」と地元で呼ばれているだけあって、自然がいっぱい、動物も鳥も自由気ままに生きている。 だからここが好いんだな。

阿保面をしながら瞑想

▼境浦海岸では、前回よりも長く泳いだので沈没船「濱江丸」が相当大きな貨物船だったことがわかった。沖縄の海でよく見たブダイのような青い魚や砂地と同じ白っぽい色のために気づかれにくい大きな魚など新しい発見もあった。バスの時間まで1時間近くあったが、坂道を登るのに、どれだけかかるか分からないので、早めに海水浴場を後にした。脊柱管狭窄症は相変わらずだが、今日は調子がいい。10分足らずで登りきり、50分をどう過ごすか。心配ご無用。島の生活では、全く時間が気にならない。日陰にしゃがみ込んで、ボンヤリ海の方を眺めながら、これまでの日々を思い浮かべる。今更考えてもしょうがないのに、何処であのとき間違ったのか、なぜあのとき・・・と煩悩が頭をよぎる。人間は死ぬまで煩悩を抱えて生きていくのか・・・瞑想しているとバスが来た。 

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