脊柱管狭窄症の痛みから解放か 713

次に目を開けたら、今度は昨日から寝ていたベッド🛌に移す時だった。どうやら101室に戻ったかと思いきや、「ここは処置室(110号室)ですから、これから3時間このまま寝ていてくださいね。痛いですか?痺れはありますか?」矢継ぎ早に訊いてくる。

▲カジキの煮付け マヨネーズ味の白和え 豆腐のお吸い物 ヨーグルト

▼麻酔が覚めきってないからか、頭がまだ朦朧としている。管を入れた背中の傷口が痛むのは、ヒリヒリと云うか、切り傷の痛みだが、左足の付け根、お尻の部分が、痛い。ここは以前から痛いところで、要するにお尻の肉がほとんど無いためだ。

▼この3年間、運動らしい運動は、気まぐれに水泳🏊🏊‍♀️🏊‍♀️をやる以外は、一日3000歩も歩かないことが多い。しかも脊柱管狭窄症になってからは、ほぼ何処へ行くのも電動自転車だし、大学は駅からほとんどタクシー🚕🚖頼りだ。それじゃ筋肉の付きようがない。これからは運動もできるはずだ。

▼眠っている間に尿道に管を差し込んでくれていたため、尿意を感じなかったが、気がつけば違和感は否めない。それにしても病室戻っても3時間じっとしているのは辛い。次第に麻酔が取れて指先にも感覚が戻ってきた。

▼最初の1時間ほど、咳と唾が立て続けに出て往生したが、次第に収まった。その間、看護婦さんのS原総子さんがティッシュペーパーで拭き取ってくれるは、尿管を抜いてティッシュで拭いてくれるは。その余に沢山の献身的な介護には、三跪九叩頭の礼をしても足りないくらいだ。

▼2時間経ったところで、テレビ📺を見せてくれたが、面白い番組はなく、テレビT京の堺正章さんが司会をする、『のど自慢』の様な番組で、お茶を濁す。クラブのママのような挑戦者が、抜群に上手かった。最後にチラッと見ると、彼女が優勝していた。

▼午後9時になって、傷口に刺した管から出る血液を溜める袋(ドレーン)以外は、全て取り外し一気に解放された。長かったベトナム戦争で、1975年4月30日サイゴン(現•ホーチミン市)が陥落し、ようやくベトナムが解放された時の様な感動があった。

▼昨夜6時半に食べて以来、実に26時間30分、水分は今朝9時から12時間、物を口にする喜びを改めて、いや新たに知った。司法記者クラブにいた頃、K場武彦記者が、ご飯を前に両手を合わせてお辞儀してから食べるのを見て、みんなで笑ったモノだが、その感謝の気持ち、表現がよく分かる。

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