何かがあることもなく、日々を過ごしていると親しい方の訃報が届く。赤坂の『とど』の姐さん手嶋恵子女将が8月15日に亡くなっていた。この日は文藝春秋前社長の松井清人さんが身罷った日でもある。
歳をとると「当然だから」と諦めるようにしてはいても、やはり同じ時を過ごしたり、笑ったり、悔しがったりしたことがあるだけに、心の痛手は小さくない。女将さんとは去年の6月にお会いしたのがが最期だった。「一平さん、コロナが落ち着いたらまた来てね」と言って別れた。息子さんが大病し他ものの、元気になり喜びあっていただけにショックはひとしおだ。
<『とど』の定番 大分料理の「りゅうきゅう」>
女将さんは、大分県の出身で新宿花園神社の近くでやっていたお店に父と一緒に行ったのが初めてで、その後10数年ぶりに、同じ花園神社の近くの地下に移った後からしばしば行くようになった。長い間杵築市の出身で、杵築中学生、高校の先輩だと思っていた。彼女は彼女で私が大分の舞鶴高校の後輩だと思っていたらしい。気づかないまま、「先輩」「後輩だと」のつもりでいたら、先年ひょんなことから、双方の大いなる勘違いだとわかり大爆笑した。
<後ろ真ん中が手嶋恵子さん>
<親友吉崎雄一の長女麻有子さんと>
赤坂に移ってまだ4〜5年程度だろうか。『とど』→『もも』→『九州じやんがららーめん赤坂店』か『吉そば』というのが私の赤坂定番コースになった。お店はどうなったのか尋ねてみたら「廃業」ししたことを知らせる張り紙がしてあったので、それもまた胸を痛めた大きな要因でもある。「いつまでもあると思うな親と金」とは言い得ている。それに「友」が加わる。茨城の方に移られたらしく、いつの日か墓参りに訪れたいものだ。