帰郷 ④ ふるさとの山に向かひて 言ふことなし 909

このところ毎年2〜3回は、杵築に帰っているが、用件が済めばさっさと引き上げるので、のんびり故郷を愉しむいとまはなかった。今回は、ほとんどフリータイムにしてあるので、普段会えない人や行かなかった場所に足を踏み入れている。

▲ 親友でこの店のオーナーA部長夫の看板が見える

今日(27日)は、夕方4時から法要があるが、それまでは自由だし、第1回の原稿3200文字は、書き上げて送ったので朝から気楽に。50年ぶりに、杵築の知られざる場所を巡ってみた。

その前に『三川食堂』で、まず朝食🥞🥣。甘い卵焼きを注文するとすぐに焼いてくれる。これにサバ好きの私は、昨日に続き「煮付け」と山芋、梅干し、ポテトサラダ、ワカメの酢の物、定食に付いてくるきんぴらゴボウと味噌汁が朝のメニューだ。

杵築市は、市とは名ばかりで、人口2万人にも満たない農業と漁業の町だ。海辺の方はメイン道路が通っているので毎日通るが、山手は西に山香、立石、北は豊後高田市に抜ける旧太田村で、山また山⛰🏔⛰🏔が連なる。そこに抜けるには波多方峠を越えねばならない。

その波多方峠を越えたのは、50年前のことだ。杵築高校の競歩大会のコース42.195キロの難所がここだった。今回は車で🚗🚘コースを逆に辿った。

高校の先にある白水の池を左に見て、高速道路入り口を抜けると北杵築に入る。私が知っている道は、全て拡張され、薮も丘もみな平坦になっていた。高校時代に遊びに行ったI田雅光の実家の郵便局は、すっかり建て替わって綺麗になっていた。そりゃ50年ぶりなんだから当たり前か。

その先をドンドン進むとA南紀子ちゃんの『きつき紅茶 阿南農園』があるはずだ。ところが2〜3年前に起きた土砂崩れで、道路が寸断され迂回路しか通れないという。目の前に茶畑が一面広がっていて、この辺りだろうと想像するもラチがあかない。

峠からの景色は、何もかもを包み込んでくれる。啄木の「ふるさとの山に向かひて言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」が突然口をついて出てきた。

迂回路は、思いがけず我々が高校時代に歩いた旧道で、懐かしい。だが道が狭い。遠くに杵築の中心部が見える高台まで登って、杉林の街道をドンドン下ると安岐町に出る大きな交差点に突き当たった。こうして1時間半ほどタラタラ写真を撮りながらドライブすると、杵築市の北東側をぐるりと巡ったことになる。帰りは「川平地区」を経て「宮司地区」に出た。

「おお若宮八幡様だ」思わず声が出た。ここで毎年行われていた「日本三大牛馬市」を小学3年生の時に記事にして、「少年マガジン」に送ったら、大きく掲載され「少年記者手帳」とシャープペンシルをもらって有頂天になったことをおもいだした。

その時、1961年1月、私は将来、新聞記者になると決めた。そのきっかけの若宮八幡様だ。途中で進路を変えた変更することもなく、記者になった。こうしてみると、小学校でクラス壁新聞、ガリ版新聞、中学、高校で新聞部、大学時代は業界紙と、かれこれ55年もやっていることになる。

今回も新たな気持ちで参拝した。もう66歳だから新たな気持ちもないもんだが。気分、気分❗南北朝鮮会談の中継が見たくて、急いでホテルに引き上げた。

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