帰郷 ⑥ 50年ぶりのマドンナ 911

精進落としに行く前に、千秋ちゃんが着替えに帰るので、車で一緒に行く。彼は藝大の卒業で、油絵を描いていたが、今は焼き物も焼いているというので、作業場を見せてもらった。

私も大学3年〜4年の時に陶芸を習っていて、実家には作業場も電動ろくろもある。もう40年以上使ってないから錆びついているだろう。

千秋ちゃんの奥さんは大学の後輩とかで、ステンドグラスは、彼女の作品だという。卒業すると故郷に帰り、家を継いだのだが、こうした楽しみがあると充実した日々だろう。作業場も夫婦共用で、お酒も🥃🍶飲める作りにしてあるところが更に良い。

精進落としは、ホテル近くの北浜にある『錦寿司🍣🍣』にした。午後5時から開いている店はないので、いつもの『いち屋』にしようかと迷ったが、千秋ちゃんが常連だというので、無理に早めに入れてもらった。まずは生ビールで乾杯🍻🥂。これで今年の2大イベントの1つが終わった。次は12月のマチュピチュ登頂だ。千秋ちゃん、ありがとう😊😊😊。

精進落としには、他に3人に来てもらった。というのも、『養徳寺』で法要の後、お茶を飲みながら🍵🍵話していて、ひょんなことから、子供の頃の「杵築のマドンナ」の話になった。まぁ共通の話題は、こんなことから始まるもんだ。これって「セクハラ」❓

その時真っ先に私が名前を挙げたのが、T岡純子ちゃん、O場千賀子ちゃん、H田裕子ちゃんの(当時)「三大マドンナ」だった。ここからが、田舎の良いところで、千秋ちゃんが、「この前、純子ちゃんに会った時、今度飲みましょうと言ってたんですよ」とさりげなく云うので、「呼ぼう、呼ぼう」と欣喜雀躍する私。

中学3年のとき、私は生徒会長選挙に立候補した。その際の、5人の応援メンバーの一人が純子ちゃんであり、好きだったO場千賀ちゃんだった。あの頃からドサクサに紛れて好きなことやっとったんやなぁ〜。選挙は学校始まって以来の大差で圧勝した。

その純子ちゃんと初めて飲みながら、彼女の家の向かいでもあるO場千賀ちゃんの話に及んだので、50有余年のナイショ話を披露した。同級生のO本清治に、好きでたまらなかった千賀ちゃんの話をしたら、私が言い出したのか、それともO本だったのか忘れたが、「千賀ちゃんの入浴姿を見よう」ということになった。そこで警察署隣にあった彼女の家の畑を匍匐前進で横断し、先に見に行ったO本が、「姉ちゃんや、姉ちゃんの方や」というので諦めて帰ったことがある。田舎の中学生なのにませていたというか、やっぱり助平だったのだ。50年ぶりに思い出した。警察署は移転し、千賀ちゃんも福岡にいるらしい。

純子ちゃんの他にも、私と千秋ちゃんの共通の友人であるK森敏男君とK来隆ちゃんにも声をかけた。K森君は学生時代、私が桜台に住んでいた頃、アパートに遊びに来る常連の一人だった。近くのトンカツ屋さんに、30代前半の妖艶なお姉さんが働いていて、我々は皆、彼女目当てで、晩飯代を奮発して150円のトンカツ定食を食べに行った仲だ。

隆ちゃんは、彼が小学4年生の時から、ほぼ毎日のように我が家に来ては、一緒に遊んでいた。ほとんど兄弟のように過ごした時期が、3年ほど続いた。私が家にいない時は、勝手に押入れに入って昼寝をしていたくらいで、親父も可愛いがっていた。息子の隆介君とは、東京で2人で飲んだことがある。

肝心なのはここからだ。隆ちゃんが、中学生の頃の初恋の相手がT岡純子ちゃんだった。彼女のおでこにニキビがあって、隆ちゃんに「あれはニキビじゃなくて、アセモだろう」と冷やかすと、「それがまた可愛い😍❤️💕」と何を言ってもニタニタしていた。

隆ちゃんには、彼女が来ていることを内緒にしていたので、ご対面‼️の瞬間は大変だった。というか大騒ぎだった。レロレロの隆ちゃん64歳、ニッコリの純子ちゃん63歳、故郷は好い。

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