村串栄一さん一周忌(1128)

今日6月26日は、T京新聞の名物記者村串栄一さんが逝って1年になる。村串さんは、兄貴分という感じで、A日のM山治さんと、司法三兄弟みたいな付き合いを長くしてきた。村串さんは、まぁM山さんもそうだが、私の私生活など何でも1番よく知っている。だから3人の時は、開けてぴろげで、忌憚のない話が出来た。
 
 
私が目黒三田に7畳半という変形のアジトを持っていた時、ちょうど今頃の梅雨の最中、深夜2時ぐらいに、土砂降りの中をずぶ濡れになって、友人を連れてやって来た。「おまっちゃん、ちょっと訳ありだから泊めて」と言ったままグーグー高鼾で眠ってしまった。仕方がないので、その前橋から出て来たという友人としばらく話をした。
 
前橋時代の村串さんが、おおらかで、優しくて、ちょっとしたことにも気遣ってくれて、一緒にいるだけで心が安らぐ愉しい人だったと具体的に話してくれたが、四半世紀前のことなので、その具体的内容は忘れたが、言いたいことはよくわかった。その夜は村串さんを挟んで、川の字で寝た。
 
中国に留学した後、北京の友人というのも連れてきた。何かと私の所に連れてくる人で、その人とは、中国語で話していたから、やはり本当に北京に行っていたんだと、当たり前のことなのに、妙に納得した。
 
 
葬儀は鶯谷のホールであった。ちょうど九州を選挙で遊説して回っている時だったが、急遽帰って、家族葬に参じた。家族親族以外は、前橋時代からの親友でS経新聞のN口さんと2人きりだった。弔辞を述べながら、涙が止まらず、やがて号泣してしまった。やはり送るより送られる方が気が楽だとつくづく思う。
 
そのあと随分経ってからT京新聞主催で、「村串さんをしのぶ会」が、プレスセンターで開かれた。賑やかなしのぶ会で、司会の声もスピーチもほとんど聞こえない喧騒だったが、これはこれで村串さんらしい会だった。
 
 
M山治さんはもちろん、特捜部長だったI川達紘さん、I十嵐紀男さん、K崎勝彦さん、検事総長だったM尾邦弘さん、K間治雄さんたち、それにY永みち子さんと久しぶりに顔合わせできたのも、村串さんの会ならではだった。
 
 
村串さんの記者としての特徴というか凄さは、逮捕する捜査陣、逮捕される容疑者達、その双方に食い込んでいた所だと思う。人懐こい不思議な魅力のある人だった。学生時代は赤ヘルメットで、三里塚で逮捕されたことがあるのに、社会人になってから、逮捕する側とも知己が多いところが、それを物語っていた。
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