小笠原 島便り 2017(22)境浦の沈没船 / 624

夜のうちにスコールがあった。豪雨の音を窓越しに聞きながら、「良かった、洗濯物を干していなくて」と安堵した。というのは、隣の202号室の宿泊者が、ホテルのものと勘違いしたのか、私の洗濯物用ハンガーを使っていて、昨夜は干せず仕舞いだったからだ。洗い直す手間が省けた。 

▼昨日(6月25日)は、午前11時前に電動自転車を借りて、まだ行っていない地域を中心に島内巡りを楽しもうと考えていた。ところが余りの暑さに、いつものレンタル屋を出た途端脳天がクラクラ来た。あぁお昼を食べずに、このまま出かけたら間違いなく熱中症だと判断。一旦ホテルに戻って揖保乃糸の手延べひやむぎを茹でた。横浜だといろいろな具を入れるところだが島にはミョウガは無いし、椎茸旨煮は無いし、ひやむぎ用の器は無いし・・・と贅沢は言えない。ネギとシソと横浜から持参したハウスの安曇野産生わさびで食べたが、十分うまい。冷麦って何十年ぶりだろ。いつも池利の三輪そうめんか小野の半田そうめんだったが、これはこれでなかなか美味いじゃないか。

▼腹がくちたら眠くなる。丼も洗わずベッドでごろり。これが良かった。島巡りを変更して、午後1時半過ぎに20分ほど、いや私は暑くて休み休みだったから40分ほどかけて、島の中部にある風光明媚な境浦海岸にシュノーケリングに出かけた。これまでに行った海岸は、兄島が目の前の宮之浜、二見港横の大村(地元では前浜という)、天皇が宿泊したホテルの目の前の扇浦、最初に泊まったシャンティバンガローに近い夕日を見ながら泳げる小港と、どこも素敵でそれぞれに特徴があった。 が、境浦海岸は、これまでの5箇所とは全く別だった。

▼「ほ〜ぉ」と思わず溜息が漏れるほどの素晴らしさ。白砂青松じゃない白砂ガジュマル? 南の島の海水浴場という感じだ。ただここに来るまでには、少々起伏のある幹線道路や3つの隧道を潜ったうえ、老人にはキツい下り坂を3〜5分ほど降りていく。私にはしんどすぎて途中で2回休憩した。帰りはもっと悲惨だったけど。こうなるとすぐに泳いではいけない。持参したクーラーの中に入れておいた冷たいお茶を飲んでゴロリ。 これが重かった。でも持って来て良かった。

海洋センターの先に1ヶ所のみ隧道の脇に自転車、歩行者用の小径がある屏風浦

奥村地区の高台から見た二見湾

田中一村さんの絵のようなアダンの木

▼海からの涼しい風で気分爽快になったところで、シュノーケリングを始める。この境浦海岸から200メートルほど沖に、赤茶色に錆びついた沈没船が横たわっている。1944年に空襲を受けて沈没した大連汽船の「濱江丸(ひんこうまる)」だ。「行けるかな?」と躊躇しない訳でも無いが、若い頃は何キロも泳いでいたし、シュノーケルもあるのだからと、この歳になって余り意味のない自信に背中を押されて、沖に向かった。それにしてもここは海底が綺麗だ。サンゴもチラホラ見えるが、魚に全く巡り合わない。ところがしばらく浮いたり泳いだりしているうちに、水中眼鏡のすぐそばにブルーの魚が、あれあれ黄色い魚も、ウォ〜急に魚影が濃くなった。沈没船は目の前だ。水中カメラを持参しなかった(当たり前、持ってないのだから)ことが何度も悔やまれた。 

境浦バス停付近から見た沈没船


境浦海岸の東屋   いつも木陰で寝てばかり


沈没船  濱江丸の残骸  この中や周辺に魚がいっぱい

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