小笠原 島便り2017 (25)父島の背骨を走破 (後編)/ 627

下りになったり、少し登になったりを繰り返すうちに、道路の名前になっている<夜明山>に到着した。と言っても高さ307メートルの山に登には、少し歩く必要があるのであきらめる。さっきから誰かが呼ぶな〜と思っていたら、おぉ我が友トイレ君じゃないか。ナンと2基並んでいる。これは探検しなくては、と汚れている姿を想像しながら扉を開ける。あっ綺麗!しかもバイオトイレじゃないか。 さすが世界遺産のトイレだけのことはある。

この先から急な下り坂

第7サティアンぽい

▼ここからは凄いくだり坂になる。「♫この長い、長い下り坂を、君を自転車の後ろに乗せて、ブレーキいっぱい握りしめて、ゆっくり、ゆっくり下っていく🎶」と鼻歌まじりに走っていると目の前にオウム真理教のサティアンの様な建物がぐんぐん近づいて来る。何じゃ!!!!! K 福の科学?R波の塔?最近好戦的右傾化が目立つS価学会の㊙️文化会館? と、どうしても宗教団体の建物としか思えない。

▼おっとどっこい、そばまで来ると入り口に<宇宙航空研究開発機構>とあるではないか。最新鋭の建物だ。種子島や内之浦から打ち上げたロケットを追跡するのだろうか?この先に319メートルの中央山入り口があるからまだ少し起伏は覚悟しなくては・・・。だが実際には1箇所登り終わると後はほとんど下り坂だった。気がつけばシャンテバンガローのすぐそばの<亜熱帯農業センター>のすぐ前の湾岸道路に出て来た。後はいつも通い慣れたバス通りだし、扇浦海岸から一昨日泳ぎに来た境浦海岸の上を通る。 

6月10日以来地図の赤い道路(島の西側 地図の左側の湾岸道路、東側 地図のほぼ中央の夜明道路)はほぼ走破  あとは道がない

▼境浦海岸近くを通るとヤギの声が山の中から聞こえて来た。付近に民家はない。まさに山羊なのか。すっかり水分補給を忘れていた。境浦海岸の上で自転車を止めた途端、左太ももが硬直して動かない。「痛てってってっ痛てっ・・・」参った🤦‍♂️🤦‍♂️🤦‍♂️。自転車のサドルに身体を預けながら痛みが和らぐのを待つ。こういう時、実はオナラが出ると身体が弛緩して硬直から解放されるのだが、こんな時には出ないから人間のカラダはこちらの思うようには都合よくいかない。パトカーが怪訝そうな感じでブレーキを踏んだようだが、笑って手を振る。島に来てからパトカーでも何でもすぐ手を振るくせがついた。バスの運転手さんとは顔見知りだからついつい。10分ほど経ってようやくベンチに座れた。麦茶が熱い。

父島で私が一番好きな海岸    帰るまでにもう一度泳ぎたい
白く見えるのが宇宙航空研究開発機構の建物か

▼午後4時10分、街中に帰り着いた。街は出港日の翌日や翌々日は休みが多く、いつものようにがら〜んとしている。食べたかったカキ氷は諦めた。自転車を返す時に又足が攣った。今度は両方の太ももだ。店のベンチでゆっくり休ませてもらう。足が攣るのは塩分不足からだと云うが、あれだけ毎日梅干しを食べているのに。やはり2時間余り、途中少しずつ休憩を取ったとはいえ、精神的には大丈夫でも、65歳5ヶ月の身体には少しシンドかったようだ。地図で見ると父島の背骨に当たる道路のほとんどを走破していた。 

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