小笠原 島便り2017 (28)最後の便り / 630

この「最後の便り」は、帰りのおがさわら丸の7デッキ「スカイラウンジ」で書いている。6月9日午前11時竹芝桟橋を出て、7月3日午後3時半に戻ってくると、24日間の旅となる。1000キロ離れた海上をひたすら北進するおが丸、ネットもケータイも一切機能しない。だから午前0時を回っておそらく大勢は判明した頃だろうが、都議会議員選挙の結果は全く分からない。都民ファーストが第1党になったのか、自民党が惨敗したのか、公明党は取りこぼしがあったのか、民進党は微増したのか、共産党は躍進したのか・・・。                                                                                                                          (追記;7月3日正午過ぎ詳細を知る。大方は予想通りだったが、自民党善戦にビックリ。10でも多過ぎるのに。「ハゲ〜‼️」を敵に回すと怖いことを思い知ったか❗️それにしても好戦的反平和主義の公明党はしぶといね)

おが丸から見る7月2日最後の夕日

▼3週間余りの小笠原・父島は、予想以上に最高だった。高い山を除けば、ほぼ完遂出来たと思う。島の暮らしには、まだ分からないことが多いが、これは島外の人間である以上仕方がない。ただこの島の住民が、いかに長閑に、大らかに、善意の中に暮らしているかは、随所で体験した。すでに紹介して来たように釣具屋「おつかめ屋」のT地亀太朗さんが、「忘れ物をしても出て来ますよ」とアッサリ、その住民性を言い当てているように、ズルが居ない島だ。それを他の場所でも実感した。

▼それは、自転車で清瀬地区から奥村地区を探訪していた時のことだ。村の診療所のすぐ下にある「美津ストア」でジュースを買おうと店に入ったが、店主がいない。それでも売店は開いているので、品物を買うことができる。その代金は、用意された箱の中に各自が入れるシステムだ。つまりその気になれば、万引きだって出来ないことではない。しかも高校のすぐそばにあれば、普通ならチョット羽目を外したい生徒が、「盗む」というより「失敬」と悪ぶることもできるはずだが、今日まで続いているのは、そんなことが無いからだろう。折角なので1個50円の島レモンを3個(しか残ってなかった)購入する。

▼7月2日は午前11時にシャンティバンガローをチェックアウトした。荷物はクロネコヤマトに頼んだので、「折れる危険性がある」と預かってもらえなかった釣竿、空気が抜けず膨らんだままの間抜けなライフジャケット、それに「信三郎帆布」の大、中の麻の袋だけで軽いといえば軽い。青灯台前で降りると、いつも客で溢れていて入れなかった村一番のオシャレなレストラン「パパスホール」で昼食にした。

▼生ビールと海鮮丼セットを初めに注文する。その際、「何かオツマミになるような物はないの?」と訊くと、「セットに3品の小品が付きます」と言うので、「代金は払うからそれを多めに」とお願いする。生ビールばかりだとお腹がチャポンチャポンするので、ハイボールを頼む。この時も「島レモンを入れて」とわがままを言うと、井上真央ちゃん似のお嬢さんは、少し困惑した顔をしたが、すぐニッコリ。これが実に美味かった。ついでにソーメンも食べる。レジで「島レモンハイボールという名前で、100円高くしたら流行るんじゃないの」と女主人風の年配者に言ったらこれまたニッコリ。この店は美形ばかりが働いている。人気な訳だ。まさに<わたせせいぞうの世界>そのものだ。(追記;南方写真師・タルケン<垂見健吾>兄さんなら、さっとこの美女たちを写真に収められるのだろうけど)

▼しばらく大村海岸で子供たちの海水浴を眺めているうちに、例によってウトウト。いかんいかん。寝過ごしたらまた6日間待たなければならない。さっき食べたけれど、今回の島の締め料理は、中華「海遊」の水餃子と焼き餃子、それにビールにした。デザートは宇治茶金時。店は立錐の余地もないほど混んでいて相席になった。相変わらずの大人気だ。結局「海遊」には4回来た。エビチリは今ひとつ辛くないのが残念だが、次回は「ホット唐辛子」のチューブを持参しよう。

子ども連れでいつも賑わっている大村海岸(地元では「前浜」と呼ぶ)

▼二見港待合室は、乗船まで1時間近くあるというのに、大勢でごった返していた。来た時同様、公共施設では他で見なかった恐らく島一番?のウオッシュトイレを使用した。是非復帰50周年を期して全島の公衆トイレをウオッシュトイレに変えて欲しいものだ。あの和歌山県太地町のように。午後3時15分になったので、太鼓の音に見送られて乗船する。船の上も下も別れを惜しむ人たちでいっぱいだった。銅鑼の音とともに、刻々と別れの時間が迫っくる。


小笠原・父島特有の「究極のお見送り」に誰もがウルルン。 リピーターが多いというのも頷ける。

▼おが丸が岸壁と平行に少しずつ離れていく。上からも下からも大きな歓声が広がる。例のように太鼓の音、船の背後、斜め横から続々クルーザーや大型ボートが追いかけてくる。恒例行事なのか、次々と若者たちが海に飛び込む。こりゃ凄い。ここまでしてくれたら、また来ようという気になるのは当然だろうと実感した。取り敢えずサヨナラ2017年の父島、小笠原。

▽長きにわたって「まるでお主は屁のような」私とそんなブログに付き合っていただき、ありがとうございました。これで2月2日の65歳の日から再開したブログを終了します。時々性格通りの気まぐれでブログを綴っているかもしれません。気が向いたらまたお目汚し下さい。

2017年7月3日の日の出                                                                                                                                                                                                  <通信事情が悪く、文字のみ八丈島沖でアップできたが、映像やネットは房総半島が近くまでは不能>

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