4月30日は、大忙しだ。まず午前中に買い物に行き、晩飯の食材を買う。昼前に家を出て、鎌倉の『古我亭』に向かう。「原家による偲ぶ会」に招待されたからで、とっても嬉しい。鎌倉駅周辺の観光客の多さに度肝を抜かれる。「何じゃこりぁ〜」こんなに連休中は多いのか‼️
西口を出て一旦みずほ銀行方向に進み、市役所前交差点に出たら右折して、ひたすら西へ西へ。中井貴一ちゃんとキョンキョンが主役だった「最後から二番目の恋」の舞台そのままだ。当たり前か。一つ奥の通りなのにお洒落な店が並ぶ。これが鎌倉なんだな。
扇谷を左に曲がって暫く歩くと右側に古い洋館建てが見えて来る。これが鎌倉の文化遺産『古我亭』だ。今は、数年前に開業したフランス料理店になっていて、3ヶ月先まで予約でいっぱいの人気店だと言う。
この『古我亭』には、30年余り前に来たことがある。当時は閉鎖されていて、中には入れなかったが、今と全く変わりがない。4年半ほど同棲していた彼女のお爺さんの家がここだったので、一緒に鎌倉に遊んだ時、連れてきてもらった。
最初、会場が『古我邸』と聞いた時、「まさか、あの古我邸❓」と思ったが、いくらなんでもと、深く考えなかつた。門の前に立った時、一気に記憶が蘇った。確か『古我禎周』と言うのが、おじいさんの名前で、『内田すず』と言うのがおばあさんの名前だっだと思う。この禎周さんが、昭和23年だったか26年だったかに、「書生にピストルで殺されて、その後何十年も空き家になっている」と彼女から聞いた。
「作家の三好徹さんが、読売新聞横浜支局時代か作家になってからか、取材していたことがある」と話していた。そんな訳ありだったから、長い間空き家だったのだろうか。それを言い出したら、首相官邸なんか住めないわなぁ。彼女は、ここがフランス料理のレストランになったことを知っているのだろうか❓
▲原塾の塾員
午後0時半の予定が、Y下一行君が遅れたので、それを待っていて、1時近くに始まった。白ワインを飲みながら、思い出話が続く。
メンバーの多くは、『原塾』という原寿雄さんを塾長にしたメディア研究会の仲間ばかりで、奥様、お嬢様、長男の真さんご夫婦、それに塾頭のI川旺さんのメインテーブルに、部外者のY下君と民放労連のI 崎さん、それに私の3人がゲストとして同席させてもらった。
面白かったのは、女性問題やジェンダーについて、原さんは外では立派なことは言うが、「家では何もしないお父さんだった」とお嬢さんが話すと、真さんも「ジェンダーは、止めた方がいい」と進言したという。これには原家を熟知している塾員達も大笑いしていた。
私が奥様と原さんの馴れ初めを訊くと、仲立なしのいきなり二人っきりのお見合いだつたそうだ。その後も山あり谷ありで、やっと結婚にこぎつけた話は、ブログでは書ききれない。お見合い9戦全敗の原さんが、やっと成就できたのは、奥様だったという話も面白く、原塾のメンバーも知らなかったらしい。
こうしてあっという間に午後3時が過ぎて、御開きとなった。美味い😋😋🍽🍴😋、フランス🇫🇷🇫🇷料理、好きメンバー、愉しい話、こう言うひとときを「倖せ」と言うのだろう❣️❣️❣️ご馳走様でした。お土産までもらっちゃった。恐縮至極。
「絶望するな、ペン🖋を取れ‼️」原さんの言葉に勇気づけられる日々である。