記者はそんなに偉いのか? / 563

    正岡子規展に行ってすっかり忘れていたことを思い出した。子規が東京大学予備門、のちの第一高等学校に入学したとき、夏目漱石や南方熊楠、それに秋山眞之らと同級生であった。秋山は軍人になったが(私の筆名は、この秋山兄弟の『坂の上の雲』司馬遼太郎著から頂戴した)3人はスタイルこそ違えども、新聞記者になった。子規は、陸羯南の『日本』、漱石は、池辺三山の「東京朝日新聞」そして熊楠はミシガン州アンナーバーで発行された『新日本』の主筆である。もちろんその実態は様々だが、当時まだ職業としての評価が今ひとつ定まらない新聞社へ入る、あるいは新聞記者になるのは、かなり新聞の何たるかを理解し、精通し、また好奇心が旺盛だったと思われる。また、それほど大それたことではなくても「新聞記者」が奇しくも3人の共通の職業だったことが可笑しい。

  さて何でこんなことに思い至ったかと言えば、明治の3人は、作家であり、歌人であり、植物学者であり、森羅万象に通じる博覧強記の教養、素養をそれぞれが持っていた。今の時代の「記者」(ジャーナリスト)で括ると、豊富な知識と深い洞察力、先見性を兼ね備えた3人と言えば、誰だろうか。一番に思い浮かんだのが立花隆さん、次が船橋洋一さん、そしてもう一人は、柳田邦男さんだろうか。

  こうした人たちが、戦後の、それも高度成長期が終焉を迎え始めた1970年代以後の言論界を領導してきた。ジャーナリズムは輝いていたと思う。私が真剣に新聞記者になりたいと思っていた頃、アメリカではペンタゴンペーパーズ事件があり、ウォーターゲート事件があり、民主主義の基本は、ジャーナリズムにあると確信した。こんなことを書くと笑われるかも知れないけれど、不正を暴き、社会の歪みを照射し、変革を目指す職業だと本気で考えて記者になった。

    記者になれるのならN協会でなくても良かった。世間ではフリーのルポライターが活躍していたからだ。幸い専門紙(業界紙)に勤め口も確保できていたし、修行をある程度終えタラ、ルポライターになレバ良いと自分の未来を描いていた。もうこの頃から「タラレバ兄ちゃん」だった。

  そして今の記者の世界を見てみると、ほとんど多くの、というか99%以上は関係ないにせよ、N協会では強姦魔記者、K同通信では壁蹴り記者、Tビーエスで沖縄の代議士からホテル代をたかっていた記者、ヤクザに名義を貸していたFジテレビ記者など、耳を疑う不祥事が続いている。もちろん人様に説教出来るような立派な振る舞いをしていたわけではないし、女性贔屓で、ぼやきの多い、謹厳実直の彼岸にいた、いい加減がスーツを着ていたような私が、こんなことを書くのは、笑い話を提供しているようなもんだが、やはり見逃せないゆゆしき事態、情況にあるのではないか。

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    詳細を把握していないで書くのは冒険だが、マスメディアの採用方法に問題はないのだろうか。事件を起こした人が皆というのではなく、今のマスメディアは全般的に、高学歴はもちろん高学校歴を前提に採用していないか。というのもそのつど思い当たることがあって(すぐ忘れてしまうのだけれど)、取材の態度、対応、手法が、何様だろうと思われても仕方がないからだ。今回の真空飛び壁蹴り(昔、真空飛び膝蹴りというのが流行った)記者のニュースを読んで、「上から目線やなぁ〜」と改めて思った。というのも、その行為は明らかに、「俺様が取材に来てやっているのに、会わねえとは何だ!てめぇ何様だと思ってるんだ。俺様は数百倍の競争率を突破して採用されたエリート記者様だぞ!!」とまさか口で言わないにせよ、態度で示しているように感じたからだ。

  鹿児島時代、M日本新聞の県警キャップが(私はこの100キロを超えるおっさんが苦手だったが)、明治時代の呼称を使って、「ブンヤというのは、人力車を引く人、馬の世話や口取りをする人と同じようなもんだ」という意味のことを、よく口にしていた。その人は謙遜していたのかも知れないが、私は本当にそうだと思ってきた。

    記者は、相手が拒否しているのに取材できる権利はあるのか。大学の授業でもよく学生達に投げかけた質問だ。記者は、相手の時間を侵害して、あるいは頂戴して、おまんまを喰っているという謙虚な態度や感覚が、身体の一部にならない限り、横柄になり、自然と傲岸不遜(と同僚にいわれた私が書くのも恥ずかしいが)になっている自分に気づかない。会社が大きく、影響力があることと自分の力を混同し、収入も拘束時間が長い分、高いことも勘違いさせる要因かもしれない。

   以前書いたかも知れないけれど、N協会の社会部記者で、途中人事採用担当になったU滝賢二記者は、誠心誠意頭を下げるので有名だった。なぜなら彼は、取材先と別れても、その人の姿が見えなくなるまで何度も何度頭を下げる。取材が上手くいこうが行くまいが、時間をもらったお礼はこうした態度でしか表せないからだ。

   彼が人事担当の時のことだ。採用内定の学生達を集めた会合が終わり彼らが帰るとき、正面玄関までついて行き、取材先と同じように学生達が見えなくなるまで頭を下げ続けている場面に遭遇したことがある。「U滝ちゃん、何しとんのや?」と聞くと、恥ずかしそうに「うちに来てくれる学生達ですから」と言う。彼は都庁キャップの時、特ダネを連発し、選挙の情勢分析でも定評があり、それこそ都庁幹部にはツーカーの人が多かった。彼は退職するまで、自分以外の人には真摯な対応を取り続けることを忘れなかった。今でもそうだけど。

  K同通信が世界一の通信社で社団法人であろうが、N協会の政治ニュースがいまや政府広報的存在になっていようが、取材で相手の時間を奪う権利はない。誠心誠意が、遠いようで一番の近道だと思う。「まるでお主は屁のような」私が、こんなことを書いて・・・と呆れて笑っている古い友人、知人諸兄姉、でもそうと違いまっか?

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