非常事態宣言解除後、多摩川を渡る(1113)

非常事態宣言が解除されてから上京したのは、今日(6月10日)までに3回。

6月1日は新宿まで出て、用がすんだらとんぼ返り。

先週金曜日は、2ヶ月ぶりに出版社の打ち合わせ、と云ってもメンバーは4人だが、やはり気になったのは、周りに良い書き手がいるのを見落としてしまったことの反省。元同僚が最近いい本を出したことをフェイスブックで知り、「あーしまったなぁ〜」と。チャンスがあるならば、生涯に1冊でも単著を残すと良いと思っている。ましてやメディアに勤めている、あるいは、いたのなら尚更という思いが強い。メディア関係者に限らず、いつでも声をかけてください。

この後赤坂の「とど」で、大分料理を満喫した。世の中的には、大分料理で有名なのは「とり天」だが、ここの「リュウキュウ」「だんご汁」も秀逸だ。これを食べると故郷に帰った気がする。とはいえ大分県北部では、「リュウキュウ」は余り知られていないが、似た料理に「うれしの」がある。すでにこのブログで、なんども紹介しているので省く。

「もも」ではK枝さんの義理の息子のT井健一さんが、「本田靖春賞」「大宅壮一賞」にノミネートされた話題で持ちきり。ノンフィクション不毛の時代にあって、彼の作品は往時の様な勢いがある。ぜひ受賞してノンフィクション復活の足がかりになってくれればと願っている。

昨夜(9日)は、新宿荒木町の『さわ野』で、今が旬の鱧料理を堪能した。梅肉、蒲焼、しゃぶしゃぶと、この時期からが美味いので、コロナの恐怖より、食い意地の方が勝ったというところだ。一番好きな北雪もあって、箸も進む。

子どもの頃、裏の八坂川でうなぎをとっていて、鱧を捕まえたことがある。もちろん「鱧」とは知らず、鰻のでかいのだと思っていた。調理する母親も、日本橋蛎殻町の出身なので、嫁いでくるまでは鰻すら触ったことがなかった。「骨の多い鰻ね」と言いながら捌いていたたら、祖母が「みっつぁん、そりゃ鱧じゃあが」と言っていたのをよく覚えている。そんな母もこの2月、誕生日の1ヶ月前に95歳で亡くなった。

私にとって『さわ野』と『とど』は、もう30年以上の付き合いになる。3店舗とも普段の半分どころか3分の1くらいで、まだお客さんが戻って来ていない。とは言え、「最近(知り合いが)来た?」と友人の名前を出すと、やはり数日前に来たと聞いて、とてもて嬉しくなる。だんだん増えて来ます様に。

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