教え子に”ご馳” になる / 584

「おまっさん、あす辺り飲みませんか?」「どうしたんや?会社首になったんか?」「まさか?」「転職するんか?」「違いますよ」「あぁ結婚か?」「いえいえ・・・」他人が聞いたら先輩と後輩の会話のように聞こえるかもしれないが、電話の主は一昨年、T京都市大学環境情報学部(現在のメディア情報学部)を卒業した教え子であり、我がゼミ「ジャーナリズム研究室」のOBでもあるS相圭一君(24歳)だ。人懐っこさは天性のモノなのか、大学1年の時からこの調子だ。

 馴れそめ

1年生の5月、「情報探索入門」の授業に少し慣れた頃、「おまっさん、マスコミのバイトないっすかね?」と気軽に声をかけてきたのが、知り合うきっかけだった。「1年生はまだ大学のこともよく分からんだろうから、まずは学生生活に慣れることだ」と放っておいたら、しばらくして「いまNッポン放送で野球中継のバイトをしてるんですよ。競馬中継も手伝ってるんです」と近況報告に来た。そのうち「きのう競馬中継のゲストにT嶋龍一さんが来られたんで、おまっさんのゼミですと挨拶したらT嶋さんが、『おぉ〜よろしく言ってね』って名刺くれたんですよ」と中々の強心臓ぶり、コミュニケーション力に感心した。今時の学生は「沈香も焚かず屁もひらず」タイプが多いのに、実に積極的で、明るく、話しているとついつい笑いに引き込まれる。

「先生」と呼ぶな

因み学生、OBたちが私のことを「先生」と呼ばないのは、授業やゼミで、「私はいまも現役の記者で有り、ルポライターだから先生と呼ぶな。他の先生は学者や研究者だし、本業がそれだから良いけど、おれを先生と呼んだら単位はやらん」と話していたからだ。だからS相君に限らずほとんどの学生は「おまっさん」と呼ぶ。

インターネット広告会社

そんなS相君が就職したのは、西葛西にあるRというインターネット広告やコンサルティングなどを手がける企業で、インドネシアやベトナム、タイ、ドバイとかにも進出しているとのことだ。社長が40代と若く、先見性だけでなく、社員との融和にも優れていて、「この人のためなら」と思わせる魅力があるという。会ったこともない私に、社長の人心掌握の様子を熱く語り、「この会社に入れて、本当に良かった」と大満足の様子が伝わってきて、とても嬉しかった。

図書手当

酒場やバーに行くと、ときどき会社や上司、先輩の悪口、愚痴が聞こえてくることがあるが、聞いていて余り愉快ではない。俺もそうだったんだろうなと思って聞き流すことにしているが、S相君の話は、「ホー、いいね」という話が多く愉しかった。「おまっさん、俺いま凄く本を読むようになったんですよ。会社から月1万円の図書手当が出るんで、半分までは漫画を買ってもいいんだけど、評伝なんかも面白くて・・・」インターネット事業と肌合いが違うような気がしないでもないが、実は電子書籍もあるし、知識や教養という拘りを捨てて、読書を愉しむというのは、役に立つ立たないに関係なく精神世界を高めるだろう。

 ”ご馳”の目的                                                               そんな話を聞きながら、「ところでお前、何で俺に電話してきたんや」と訊ねると、「社の方針で年に何回か、仕事と関係のない人の話を聞いてレポートにするというのがあるんですよ」とこれまた「ホ〜」と思わせる会社のシステムだ。「なんや、手近なところで済ませようという魂胆かい」と口を挟むと、「違いますよ、去年ネットでおまっさんのこと調べたら、対談(実際は鼎談だけど)の記事を見つけて、読んだんですよ。いやぁすげぇ〜人(と彼が言っているのであって私の発言ではない)だったんだなと気づいたんですよ。名古屋にいるTもM島も、『おまっさんが言っていたことはこれだったんだなぁと思うことがある』って言っていますよ」と口が巧いのは相変わらずだ。

今時の若者のマナー

たしかに私は授業中にたわいもないことをよく言ってきた。いまもそうだが。「挨拶はキチンとしろ、挨拶できないヤツは自分に自信がないからだ」「マスクをしたまま話すな、面接試験の時にマスクをしてるか」「歩きながらものを喰うな、通勤通学電車の中でも喰うな」「レスポンスが速い奴は、仕事の出来る奴だ」「電車に乗ったら年寄りに席を譲れ。携帯に夢中なふりや居眠りを装うな」など書き出したらキリがない当たり前のことばかりだけど、必ず最後は「社会に鍛えてもらえ」で締め括っていた。

 取材の奥義

 S相君によると「社会に出てみて(おまっさんから)言われたことが、一事が万事そうだったので、今度はどうやったら人の懐に入り込めるかを聞こうと思って・・・」と私が長い記者生活で培ったノウハウを聞き出そうというのが、目的だと分かった。学生時代は、私が書いた本など読みもしなかったのに、質問も気が利いている。「左遷された検察幹部をすぐ訪ねて、その後もずっと続けていたのは?」「昭和天皇が死ぬ直前の張り込みで、担当医の自宅マンションのドアの前に寝袋を着て寝ていたのは?」と具体的だ。結構真剣じゃん。尊敬できると思った人には、立場がどう変わろうがトコトンついて行くことが重要だというような「まるでお主は屁のような」臭い話をしてしまった。

ふたりでハイボール

教え子からご馳走になったのは、生まれて初めてだ。目黒の和食の店「和神」では、なめろう、焼きタラコ、エイひれ、若鶏の照り焼きなどが実に美味かったが、社長についての話が一番美味かった。もちろん教え子に奢られっぱなしと言うわけにはいかないので赤坂に移動、「もゝ」に連れて行った。いつものように梅干しと卵焼きだけでは悪いので、他にもポテトサラダとかここでも焼きタラコも。

教師もよかった

既に来ていたカップルはIビーエム、後から来た人妻はD通、そのほか後ろの席の6人組は法曹関係者か。彼らと同様いずれ彼の会社もSフトバンクのようなビッグな会社に成長するかもしれないし、彼がその戦力の中核になるかもしれないが、それまで生きているかなぁとふと思った。帰りは当然のように、九州じゃんがららーめんで〆た。電車の中で、非常勤時代を含めた12年間の教員生活を振りかえると、次々といろいろな学生の顔が浮かんできた。贔屓だったI藤彩ちゃん、H田奈月ちゃん、怜奈ちゃんはどうしているかな?記者も最高だったが、教師もよかった。5月24日は「ご馳走記念日」としよう。

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