バブル先駆の頃 (1367)

8月12日は、4連休の初日。大体仕事の翌日は肉体的に疲れていて午前7時前に朝食を済ますと、書斎でゴロゴロしているか、ウトウトして過ごす。これが至福の時だ。

この歳になると大声を出すのは、聴こえづらい時だけで、2人だとテレビでもつけていなければ静寂そのものだ。孔子の<七十而従心所欲不踰 矩>の域にはまだ達していないが、だんだんそういう気持ちが分かるようになってくる。振り返れば四十にして惑わずどころか大いに迷った結果の今である。30歳の頃、もう一度論語を読み返してみるべきだったか🤣🤣🤣。

何もしない日々が続くと、振り返って、今更しようがないのに悔悟の念に駆られる。今日(12日)は、御巣鷹山に日航機が墜落した日だ。この時の思い出は数々あるが、犠牲者の家族からすると我々取材陣の思い出などは、腹の立つことが多かろうからあえて書かない。

<御巣鷹山の現場 SNSから>

遺族の映像を見ながら、オレもあの人が死んだら号泣するだろうなと思い浮かぶ人が何人かいて、ついつい今どうしているだろうと親交のあった日々を思い浮かべる。それは身内や同僚、編集者だけでなく、取材先の人たちにも及ぶ。先般書いた永野義一さんもそうだが、警視庁時代や司法記者時代親しくなった刑事、検事、裁判官や弁護士もしかりだ。それは時代の共有や関係の絶対性とかを超えたものだと思っている。

時々思い出すのは、理不尽な取材にもかかわらず、「お互い仕事ですからね」と逮捕前に自分の顔写真を渡してくれた不動産会社の幹部N條さんのことだ。バブル直前で、後々振り返れば、時代の先駆け過ぎた結果、町田の宅地開発と不動産売買で巨額の利益を上げたことが、詐欺だったか背任だったの容疑で特捜部に逮捕された。

<1980年代後半のバブル時代  SNSから引用>

その直後にバブル時代を迎え不動産は異常な高騰。彼らの行為はその時代であれば摘発されることはなかったのだろう。私は千葉の自宅まで毎朝、毎朝、カメラを下げて通うのだが、なかなか上手く隠し撮りできない。下手なんだな、今もそうだけど。3〜4日目に本人が出勤前に、通りの角に隠れていた私のところに来て、「毎朝来ているけど迷惑している。子供もいることだから何か用なの⁉️」と嗜められた。私も若かったから正直なんもんで、「顔写真が欲しくて」と頭を下げたら、「じゃ会社に来て下さい」と言われて、午後から赤坂だったか六本木だったかの会社に出向くと用意していて、免許証の写真のような一枚を差し出した。

逮捕の速報の時にその写真は使ったが、何だか申し訳ない気持ちの方が強くて、後は拘置所に入る車の中の映像に切り替えてもらった記憶がある。後にも先にも自分はいずれ逮捕されるだろうと思って、写真をくれたのはN條さん唯一人。彼のことは、忘れられない。検察にバレたら捜査妨害で半年は出入り禁止になっていたかもしれない。

スポンサーリンク

フォローする

スポンサーリンク