松田賢弥さんを偲ぶ会(1510)

今日(4月28日)は、午後6時半から市ヶ谷のホテルで開かれたフリーライターの松田賢弥さんを偲ぶ会に出席した。呼びかけ人は、元週刊現代編集長で講談社OBの元木昌彦さん。松田さんのことは、昨年亡くなった直後に、このブログで紹介したので繰り返さない。会場には、松田さん所縁の人、と言っても、講談社、文藝春秋、小学館の関係者ばかりか、50人近くが集まった。

<SNSから 意外と写真がなかった。1985年ごろのを探せばどこかにあるかもしれないが・・・>

<これだけ盛況なのも元木昌彦さんの尽力が大きいと思った、大したもんだ>

最初の挨拶は、文春のS谷学編集長。週刊文春の編集長になった直後、企画者に力を入れるか、スクープ勝負で行くか逡巡していた時に、松田さんが『小沢一郎妻からの離縁』のスクープを書いてくれて完売した。それで、「やはり文春はスクープ路線を堅持しようと決意したキッカケとなった。感謝している」とお礼を述べた。次の予定があるのだろう、直ぐに引き上げた。

続いて松田さん最期の作品『したたか』(講談社)のご本人、菅義偉前総理が、サプライズで登壇し挨拶した。「彼との共通点は、『ああ上野駅』ではないかと思う」と述べて、献杯の音頭を取った。特に義理がある訳でもないのに、わざわざ来てくれたのは、元木さんの力によるものであることが窺われた。

出席者の挨拶で印象に残ったのは、ライターの森功さんで、松田さんの人柄が垣間見れてとても楽しかった。それは、陸山会事件の公判に通ったときのエピソードで、いつも一緒に公判に出ていたのが、ある日傍聴席の籤引きに松田さんが外れてしまい、昼休みに法廷から出たところ、松田さんが待っていて、「今のどうだった❓」と訊くので、近くの喫茶店で、なぜか(業界の後輩である)私がおごったカレーを食べながら、説明を聞いていた。

その後、「ところで森君はどうしていつも傍聴出来るの❓」と訊くので、「実は雑誌協会に割り当てられた傍聴席を文春が確保してくれていたので、籤にハズレても傍聴でるんです」と正直に内訳話をした。その時は、「あー😮‍💨😮‍💨そうなの」と聞き流して別れたが、次からは松田さんが講談社に頼んで傍聴席を確保したため、私が傍聴出来なくなってしまったという。「厚かましいけど憎めない人柄で、ああいうジャーナリストは、もう出ないのでは」と惜しんだ。会場から時折爆笑🤣🤣🤣😍👍が起きて、松田さんを知っているには、その光景が目に浮かんだこと思だろう。森さんは実にナイスガイで、彼のような友達がいると楽しいだろうなと思わせたスピーチだった。

会場は、講談社関係がほとんどのようで、お陰で畏友K藤晴之に久しぶり会えたので、「これで最期かもしれないから」と同じ元週刊現代編集長のI井克尚さんと3人で、記念撮影をした🤣🤣🤣。撮影してくれたのは、スラリとした超美形の講談社の人だった。それも嬉しい😊😃😆。

献杯のときのワインを1杯飲んだだけで引き上げたので腹ペコ、近くの荒木町の『さわ野』に1年ぶりに訪れた。貸し切りの客がちょうど出るところで、最後は私がひとり貸切となった。ノドグロの刺身が美味くて、「北雪」がグイグイ進む。4杯飲んだところで、ちょうど午後10時近くになったので、赤坂の『もも』に立ち寄った。当初は、松田さんの「偲ぶ会」の帰りに、T井健一さんと一緒に行く予定だったが、彼を会場で見つけ出せなかった。お陰で、『さわ野』に顔を出せたし、鱧の予約も出来てとても良かった。

気がついたら午後11時半近かったので、慌てて引き上げた。いつもなら『吉そば』で、〆のそばを啜るところだが、食べていては最終電車に間に合わない。あ〜😮‍💨😮‍💨😮‍💨とチョット嘆きながら地下鉄に飛び乗った。

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