2022年を振り返って(1715)

コロナで始まり、コロナで終わる。1番大きなニュースは何と言ってもロシアのウクライ侵略戦争の開始だ。もう一つは山上徹也氏による安倍晋三元総理の射殺事件で、その動機から旧統一教会と安倍元総理や自民党との深いつながりと日本の闇が見え始めた。教会と関係がないと言い張る政治家の見苦しさにウンザリした半年だった。反面その闇を長きにわたって追求し続けたジャーナリストや弁護士が脚光を浴び、連日の報道となった。まるでオウム真理教事件の時のようだった。

10月半ばに全国紙の友人に「山上さんが今どうなっているのか、どこも書かないから何かを伝えるべきでは」と提言したら、「鑑定留置中だから」と気のない返事だった。ところが年末のここに来て週刊文春が山上さんの周辺取材から特集を組んできた。やはり週刊文春、日本の闇で分からないことは、今や「文春砲」頼みなのかと巨大メディアのフットワークの悪さに情けない気持ちになった。

私的には、3月に早稲田大学大学院講師を定年退職し、これでNHK時代の2005年から中央大学兼任講師に始まって東京経済大学、大学院、大妻女子大学、青山学院大学、東京都市大学(教授)、武蔵野大学(客員教授)と続いた大学教員生活は終了した。

   2年半前から火曜日と木曜日にグループホームで介護の仕事をしていて、月刊文藝春秋(2021年10月号)に書いた通り、残すところあと半年となった。施設に行く前日は介護関係の本、と言っても三好春樹氏の著作がほとんどだが、読むようにしている。

それ以外はもっぱら「立ち食いそば」を食べ歩く毎日だ。2021年8月30日に東神奈川の『日栄軒』の「穴子そば」からスタートし、今日12月31日の『鈴一』までにのべ280軒(座り喰いの店3軒は除く)を数えた。これで横浜、川崎、都内の立ち食いそば屋は制覇したつもりだ。来年は埼玉県の昨日立ち食いと判明した1店舗と千葉県の未踏店に挑戦する。

この立ち食いそば探訪が、12月26日から講談社の『現代ビジネス』で、不定期の連載で始まった。きっかけは、このブログの「そば探訪記」の連載が200回を超えたあたりで、『立ち食いそばうどんの会』のメンバーでもある講談社の編集者から声がかかったものだ。最初は話半分というか、半分冗談ぐらいに思っていた。それに廉価なそばうどん屋については、この世界の第一人者のS崎仁紀さんをはじめ、M橋隆司さん、T京ソバット団のみなさんなど多くの方々が書き尽くしている。

さらに私が所属している、この『立ち食いそばうどんの会』でもK倉利之さん、S井淳さん、K原務さん・・・と書き出したらキリが無いほど優れた投稿者が多々いるので逡巡した。しかし大学を定年になったら、物書きとしてはどこかメディアに発信したいという思いもあり、せっかくの話なので、視点を変えて「立ち食いそば」を見てみようと決心した。

それも嬉しいのだが、もっと大きな意味がある。実は既にいろんなところで書いているので、「またかぁ〜😮‍💨😩」と思われるかも知れないが、私が商業雑誌にデビューしたのは、小学3年生10歳の時だ。

ここに掲載した写真がそれだが、拙い記事は私が書き、牛馬市の写真は、当時一般家庭には珍しかったカメラで先輩が撮ってくれた。あれからちょうど60年。少年マガジンをスタートに、壁新聞やガリ版刷りの学級新聞、自宅の地域での『しろやま子ども新聞』、中学、高校新聞部、その全てが記者兼編集長だった。大学時代3年間は、業界紙でアルバイト、そして1975年は大不況のため毎日新聞の採用試験が無く、思いがけず放送記者になった。それはそれで「記者」と名がつくだけでも大変嬉しかった。

運よくNHK記者になれたものの、活字の世界が忘れられず、『文藝春秋』『週刊文春』『現代』『週刊現代』『世界』・・・と「注文があれば、書くよ」とマンガの『深夜食堂』のノリで長きにわたった書いて来た。とにかく講談社でスタートし、60年後も同じ会社で記事を書いていることは、私にとっては奇跡のような話だ。長い執筆生活では、連載ももった、特集も書いた、文藝春秋の巻頭随筆も、そして「同級生交歓」にも登場した。

もちろん新聞社でも毎日新聞、東京新聞、朝日新聞、産経新聞、西日本新聞、日刊現代と執筆して来た。つまり10歳から70歳まで、曲がりなりにも執筆活動を続けて来れたことが嬉しいし、新年には月刊『文藝春秋』2月号(110日発売)にも執筆していて、長きにわたって記者でい続けられていることに感謝している。

1歳の誕生日の時、最初に握ったもので将来を占う故郷の風習で、鉛筆と盃をつかんだらしい。祖父(九州日報=現・西日本新聞)、父(毎日新聞)と三代続けて記者だったが、3人の娘はそれぞれの道を歩む。これで我が家の記者稼業は私で終わりとなる。彼女たちの人生だし、別にこだわる必要もないので、それもまた良しと2022年の最後に思っている。

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