天理滝本からの報告 Ⅱ  再訪  /  590

4月に引き続き奈良県天理市滝本町から農業体験を報告する。4月のブログを読んで貰えばこれまでの経緯はわかるが、簡単に云うと週刊文春「トイレ探検隊がゆく!」の連載で知り合った86歳のY中䂓矩子さんから「農業体験に来ませんか」と誘われて、ヒョコヒョコ出かけて行ったのが事の始まりだ。䂓矩子さんは、山に囲まれたこの土地にひとりで暮らしている。自宅は170年前の古い木造家屋で、やたらと広い。だから4月というのに寒かった。全くのおひとりさまではなく、家族は娘3人と息子の4人が、奈良市内や大阪、滋賀、愛知で独立していて、孫とひ孫は17人を数える。しかし1年のほとんどは、一人暮らしで、田植えや稲刈りで息子夫婦と孫、次女夫婦と孫の手を1日、2日借りる以外は、農作物も果物もほとんど1人で作っている。肉や魚などは別にして、毎日の食事は自分で作った米、味噌、野菜や佃煮、果物で賄う。しかも週に1日は車で2〜30分の市内で行われているダンス、フラダンス教室に通い。週1日は京都に表装の習い事に行く。とにかく高齢化社会を愉しく元気に生き抜いて行くモデルのようなおばあちゃん、と云うには申し訳ないほど若々しく生きているのである。弟子入りしてはや2ヶ月。今回は䂓矩子師匠の家族と一緒に田起こしと田植えをするため6月3日からやって来た。 

▼前日、F(木啓孝)ちゃんとT橋宗(和)ちゃんと神保町で飲んでいたとき、䂓矩子さんから電話が入った。「突発性難聴で明日は朝から病院に行くので、京都に着いたら携帯に電話して」「えっ、中止にしましょうか?」「何言うてますねん。予定は変えませんから」と雨天決行のような強気の返事。私は午前1時過ぎに帰宅したのに、午前4時半過ぎには目が覚めて準備をし、午前7時過ぎには自転車で新横浜に向かった。定刻主義者の私は、予定がある朝はどうしても早く目覚めてしまう。朝飯はゆっくり食べて来たので、電車の中は小笠原島のガイドブックを眺めているうちに爆睡したようだ。名古屋で大勢乗り込んで来た音で目が覚めた。 

▼京都に着くと近鉄電車の乗り場までまっすぐ。まだ特急が出るまで時間があったので、京都名物「にし蕎麦」の看板メニューに惹かれて立ち食いそば屋へ。これだけでは寂しいので、「丸天」と書かれたトッピングも注文。出てきた丼を見てビックリ仰天!「丸天」とは、九州で云う丸いさつま揚げと違って、天カスを丸く固めたものだ。一気に失望。すると蕎麦も生茹での様で、歯にキシキシする。しかし私の師匠の䂓矩子さんは、「もったいない教」の教祖様である。天の声ならぬ“䂓矩子の声”「残したらあかん‼︎ 」ハッハッと頭を下げ、最後まで啜る。あぁ〜個性的な蕎麦やった!と考える様に師匠の教えを守る。 

▼午前10時30分発奈良行きは、特急。大和西大寺で天理行きの各駅停車にの乗り換える必要があり、4号車からホームに降りようと席を移動していたら、何処かで見た顔が。誰だっけ????ノーベル賞、ノーベル賞と思い出そうとするとご本人と目が合った。仕方がないので、すれ違いざまにお辞儀をした直後、思い出した。大隅良典さんだ。奈良で講演かなぁと走り去る特急の後尾を眺めていた。 

▼天理駅は長いホームだ。一度に何万人もの信者が訪れる大きな駅だけに、作りも地方駅とは思えない。午前11時半過ぎ、車で迎えに来てくれた䂓矩子さんに、いの一番に病状を聞くと「原因はストレスらしいわ」と笑いながらサバサバしている。実は䂓矩子さんの悩みの一番、ストレスの原因は、県庁職員の長男が山仕事、畑仕事を引き継いでくれないことだと云う。私は当の御本人に前回会ったときに話をしたが、関心がないのではなくて、林業や農業に対して旧来とは違う方法があるのではと考えている。自宅用に米を作るのは、カネと時間と労力の無駄であり、それだけの金を使うなら、買った方がずいぶん安上がりだという発想だ。これでは中々歯車が噛み合わない。しかし長男としては䂓矩子さんの元気なうちは、年に何回かは手伝おうという腹づもりの様で、今回も奥さんと一人息子の中学生を連れてやって来た。 

▼午後2時過ぎ、長男家族と5人で田んぼに行く。まずは田の土を、野球のグランド整備で使うトンボのような代掻きで平たく伸ばすのだが、86歳の䂓矩子さん1人では、とても無理だ。田植え前に平たく出来ず、雨水が流れ込んで高低ができ、小さな山が田んぼの中に何か所も出来ている。これを私が3つ歯の鍬で掘り起こし、水を流し込んだ後、長男家族が平たくして行く。簡単そうだが実際にやるととても難しい。第一私はカメラとペンくらいしか持ったことがないまま40有余年過ごして来たのだから。もちろん生まれて初めての体験だ。去年の秋、鴨川にFちゃんとH比野研ちゃんと同期のM平と稲刈りに行ったのがコメに関わった初めだった。こうして午後5時半前に5枚の田んぼは、取り敢えず準備が整った。長男家族の手助けが無ければ、ここまではとても出来なかったはずだ。 

▼これで普通のお年寄りは、風呂に入り、夕飯を食べてテレビを見て、あとはゆっくり床につくはずだ。だがそこはスーパーおばあちゃん䂓矩子さんだ。「さぁ市民会館のダンス教室に行きましょう」と誘う。「ダンスの先生には、今度ボーイフレンドを連れてきますから」と伝えてあるという。私は普通の年寄り的生活をしたかったが、車で30分ほどかけて出かけた。それから2時間。ダンスが物凄く体力を使う競技だと目の当たりにして初めて分かった。師匠は、モダンダンス、社交ダンス、あとは新作のダンスまで汗をかきながら30人近い仲間に混じって楽しそうに踊っていた。午後10時前に帰宅。酒も飲まず、風呂に入って、遅い夕餉で、やっと布団に。深夜2時過ぎ、オートバイの猛烈な爆音で目が覚めた。土曜日の夜は、こんな山の中まで警察が来ないことをいい事に、毎週暴走族が繰り出しているという。25世帯の小さな集落では、殺人事件や死亡事故でも起きない限り、警察はすぐには来てくれないらしい。 

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