滝本からの報告2日め / 591

田植えの準備がこれほど疲れるものだとは思わなかった。夜中に暴走族の爆音で起こされたものの次に目覚めたらもう午前9時近かった。鶯がかまびすしいほど鳴きあっている。腰が痛い、足が痛い、でも心地よい痛みだ。何となく不健康なあの脊椎間狭窄症の痛みとは違うのだ。慌てて顔を洗い、歯を磨いてリビングに行くともう朝飯の準備が出来ていた。こちらに来てから飯は山盛り2杯はかるく食べる。糖尿病に炭水化物は大敵だが、紫蘇のケチジャン漬け、いか人参のケチジャン漬けと2つの強烈に辛い副食が飯にあいすぎる。 お手製の味噌で作った油揚とジャガイモの味噌汁が美味い。事前に送っておいた魚久のサワラの味噌漬けも、程よい焼き加減でますます飯が進む。

▼午前10時過ぎ、気がつくと䂓矩子さんの声がしない。どうやらひとり息子の崇史さん夫婦が来て田んぼに移動したようだ。いかん!遅れをとってしまった。ちょうどそこへ隣家のF村さんが顔を出した。「私も今から田んぼに行きますから、乗せて行きますよ」と嬉しいことを言ってくれるではないか。田んぼはバイパス道路の脇にあるため車が便利だ。
▼ここで断っておかなくてはならないのは、私は不自由な困窮の1人暮らしの老人を通して、現代ニッポンの暗部を描きたいわけではない。極々普通の、ちょっと探せば読み手の周りにもいるかもしれない、高齢化社会の中で、愉しく、逞しく1人で気楽に暮らしている昔ながらの“おばあちゃん”の追っかけをしているのだ。 

▼䂓矩子さんは、崇史さん夫婦に田植えは任せていた。ヤンマーの田植え機を動かせるのは、彼しかいないからだ。実は私は大きな間違いをしていた。田植えは手植えだと思い込んでいた。私の友人達も同じ思いのようで、「一平ちゃん、無理すると腰が痛くて小笠原に行けんようになるから」と心配され、私もその気になって「気をつけるよ」と真面目に受け応えていたのだから、馬鹿もここまでくると楽しいじゃないか。 

▼遅れて登場したのに、田植え機は1台。仕事らしい仕事は、田植え機に掛けた苗を並べていたパレットを山から流れてくる小川で洗うことだ。これがバイトや授業だと手を抜いたり、サボタージュする所だが、志願して来ている以上、手抜きは出来ないどころか、自分で仕事を探してくるという健気さ。記者生活と相通じるものがある。 そうこうしている内に、吹田市から次女のめくみさん親子が助っ人にやって来た。彼女は農家出身の次女らしく、テキパキと植えた稲の隙間や空白地帯を手植えでカバーして行く。素人には分からない。こちらは彼女の息子と棕櫚の刷毛でパレットを次々と片付けて行く。13時半過ぎ、5枚の田んぼには綺麗に稲が植え付けられた。いったんY中家に戻ってお昼ご飯となった。大したことはしていないけれど、山間を吹き抜ける乾いた風が清々しい。空は真っ青。

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