44年前の鹿児島の夏(1153)

きっと今でもそうだろうが、44年前の鹿児島の夏は、暑さと灰とに悩まされた。桜島が噴火すると一緒に火山灰を吹き出すのだが、これが夏場は大隅半島から薩摩半島にかけて吹く東からの風に巻き上げられて、鹿児島市内に降り注ぐ。言葉で聞いたところで、イメージできたとしても、実感できないだろう。当時エアコンは高かったので、一日中窓を開けて外出していた。帰ると畳の上も、布団もみんなザラザラしている。台所の食器類も灰色と黒い砂が薄っすらとかかっている。「えっ🤯🤯😨何だぁ〜⁉️」と怖くなった瞬間、「ドカーン」と音がして桜島が爆発した💥💥💥。「あー火山灰かぁ」納得。

この話を鹿児島出身のH口記者にしたら、「爆発が多い年とそうでもない年とがあったんだけど、このところ多いなぁ」と独特の鹿児島訛りで説明してくれた。H谷川さんという、後にFジテレビに転職した記者は、エアコンではなくて、送風機を使っていて、赤ちゃんの鼻の穴まで灰が溜まったとからかわれていた。

私がいる間には、しょっちゅう降灰がニュースになった。路面電車がスリップして脱線する事故も起きた。ところが大隅半島に降った時は、ほとんどニュースにならず、何度か抗議?電話を受けた。気持ちは十分わかるので申し訳ない気がするのだが、大隅半島には鹿屋通信部の記者が1人いるだけで、鹿屋周辺が大変な時はもちろん記事にしていたが、守備範囲の垂水市、肝付郡、曽於郡、つまり宮崎県の都城、串間の県境、南は佐多岬までを1人でフォローするのだから、最初から無理な相談と言うか、ある意味「捨てる」ことを覚悟しなくてはならない。

しかもロケットの🚀🚀発射実験がある内之浦を抱えているので、実験の時はリアス式のクネクネした海岸線を自分で車を運転して出かけるという、大変な仕事をされていた。N原さんという、本当に父親のような気さくな大先輩と優しい奥さん、お嬢さんがいて、選挙やロケットで鹿屋に行くと大事にしてくれた。私は選挙担当の時は、この大隅半島を泊まりがけで回ったので、ずいぶん詳しくなった。

<山の中を走る往還道 2019年4月に撮影>

昨年自分の選挙の時に35年ぶりに内之浦方面まで回ったが、ずいぶん立派な道路が通っていて、辺塚地区に住む90近いおばあさんが「病気の時は、車で鹿屋まで2〜30分かからないで行く」と話すのには驚いた。横浜の夏とは違う大変な夏が鹿児島にあったことを思い出す。

<8月8日はタコの日。昼前、家人がいないのを見計らってキンちゃん登場。今日はトレイがあったのでサバの水煮缶を開けて入れてあげる。こっそり。バレたら大変>

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