これを読んでいる郷里の同級生や友人、知人たちもそうだろうが、この1年活動範囲が狭められた。私の場合は特にひどいのかな?というのも今更ながら、書斎で過ごす時間がすこぶる長い。散歩、買い物の2時間かせいぜい3時間、食事の2時間、これに風呂やウロウロを加えても3時間。つまり1日のうち18時間以上は6畳+2畳(クローゼットと書棚が別にある) の中だ。だから友人、知人とたまに会う程度で、LINEやメールで済ませてしまう。不思議な体験だよね。
だから何もないとすぐベッドで事を済ませてしまう。食事を除くカップ麺やカフェ・オ・レ、ジュースなどの飲食も、電子版で読む新聞、録画したテレビ、同時並行で読む読書、パソコン、執筆、Netflix、Hulu、 prime video そして仮眠、睡眠・・・とほとんどをここで賄っている。「起きて半畳寝て一畳」を実践しているし、朝晩の食事に関しては、「天下取っても二合半」どころか1日一合がいいところだ。だから昨日(2月15日)のように夕方まで雨だと全く外出せずゴロゴロに拍車がかかる。たまったテレビ番組で面白かったのは、渋沢栄一のドラマ『青天を衝け』だった。今後も見続ける予感がした。ちょうど週刊現代が特集を組んでいて、これも大いに参考になる。
家人は娘が小学3年生の時、自由研究で渋沢をテーマに調べた経緯があるから、家には当時出版された鹿島茂さんが書いた上下2冊の本がある他、最近NHKから出たムック本を買ってきていたので、彼女たちの間では、ちょっとしたブームのようだ。あの時以来、渋沢栄一の名前はことあるごとに登場してきたから、大河ドラマになったことを2人は大いに喜んいて、少しうるさい。視聴率が20%だといって、普段は来ない私の書斎まで自慢❓しにきたほどだ。
1回目のなかで、悪戯好きの栄一が行方不明になって大騒ぎする箇所を見ながら、私は60年近く前のN田隆ちゃんを思い出した。1歳違いで学年も彼が下なのだが、どういうきっかけかは忘れたが、小学4年生くらいからほぼ毎日のように、それも小学6年生になっても我が家に遊びに来ていた。
<杵築でない友人知人諸兄姉、写真一番右、橋に近い白い家が我が家>
N田家の大切な息子が行方不明というか、姿が見えないというので大騒ぎになった。彼の家(県北でも屈指の肥料会社)の従業員たちも総出で探した。夕方になっても見つからず、その間N田家から「お邪魔していませんか」と電話があったらしい。らしいというのは私はその時はいなかったから、祖母や母の話を後で聞いた。何ということはない、渋沢栄一と同じ。我が家の押し入れに入って布団に潜って、夜まで眠り込んでいたのだ。私がいないので帰ってくるまで待とうと、いつものように押し入れに。ところが我が家は隆ちゃんが来たことすら知らなかったから、後でびっくりしたという。N田家としては川に落ちたのでは・・・と悪い想像をしたらしく、彼のおばあちゃんが泣いたというから相当大騒ぎだったのだろう。
<この坂を幼稚園2年、小学校6年通った 学校は藩校「学習館」>
60年近く前のことを思い出して大いに笑った。その話をメールすると「覚えますよ、私も一生忘れません」と長い返事があったから、後で絞られたのかもしれない。彼は関西の銀行に勤めた後、家業を継ぎ、親の代よりも商いを大きくしていると仄聞する。15日は一歩も外出しなかったので、315歩だった。