故郷に帰ると待っているのは墓参りと恩師の家に挨拶に寄ることだ。仕事は昨日のうちに済んだので、朝から今は同じ杵築市になった山香町立石に、「今年亡くなった」と長夫に聞いた親戚の家にお参りに出かけた。電車だととても時間がかかるところを、長夫から借りた車で、毎回貸してくれるのだが、車がないと移動に苦労する田舎町では大いに助かる。以前は帰郷のたびに泊まりがけで出かけていた家なのだが、すっかり疎遠になってしまった。長男の公和君に挨拶して神道なので線香なしでお参りする。
まだまだ暑い。朝ホテルで食べたセブンイレブンのサンドイッチとコロッケ、コールスロー、牛乳が重くて昼飯抜き。杵屋のうどんが食べられない。市内のAコーポで花を大量に買う。向かったのは、小学校6年後半から高校2年の前半まで通った英語塾の恩師であり、杵築高校でも習った松山廣先生のお宅。昨日飲むはずだった長男の直樹君が迎えてくれた。「台風で帰ってくるのが1週間延びたとは聞いたのですが、その後連絡がなかったので顔を出せませんでした」というのには恐縮してしまった。先生によく叱られたことなど、昔話に花が咲く。毛沢東主義者だった先生には、担任の英語以上に思想的に影響を受けた。その後大学生になるとアッサリ毛沢東らのスターリン主義とは決別したけれど、社会科学に強い関心を持つようになったのは先生のおかげだ。
続いて我が家の墓がある養徳寺へ。普段から綺麗に掃除をしてくれているので、墓に水をかけ花を手向けて近況報告と下の姉の希望もあり、お袋の3回忌が済んだら納骨することを伝える。この寺は、藩主の墓があり、雛人形の展示で有名だが、沢田研二さんと田中裕子さんが出演した『花も嵐も寅次郎』の撮影にも使われた。T橋宗ちゃんが一緒だと喜んだかも。
すぐ隣の隣が、高校時代の担任で恩師 I 藤公範先生の妙徳寺。先生は在宅中で、選挙の時には数少ない推薦人になってくださった。「選挙に落ちてすごく気落ちしていると聞いたけど、元気じゃったかい?」と訊くから、「そりゃないですよ。5月の末の時点で、可能性はゼロだと思ってましたから。それでも最後まで助けてくれた方々のことは生涯忘れません」と説明した。その一人S木庸介さんが東京10区から出馬していて、授業や介護の仕事のあい間、時間の許す限り証紙貼りや電話かけに出かけている。
最後に寺町(この地域はお寺ばかりがずらりと並んでいる)の下から2番目の安住寺へ。ここには小学校時代からの親友吉崎雄一が眠っている。来年が7回忌となる。一番自分の思う通りの人生を全うしたのが雄ちゃんかもしれない。高校時代に一緒に学生運動にのめり込み、彼は東北大の第四インターに属して、中退するや全国一般の労働運動を続けて来た。最後の最後まで弱者の味方だった。お嬢さんとはたまに都内で飲んでいたが、コロナですっかり会うこともない。「来年の3月までにはまた飲む機会もあるだろう」とお墓の雄ちゃんには伝えておいた。
かくして私の杵築の用事は全て終了。最後の最後は、我が家がどうなっているのかを帰るたびにチェックする。いつもは外からしか見ないのだが、今回思い切って20数年空き家になっている中に入ってみた。「あれ、思いの外綺麗じゃん。これならダスキンに入ってもらって大掃除すれば住めるかも」と急に、帰郷して裏の川や海で魚釣りやカヌーをしている自分の姿を思い浮かべる。家人は絶対田舎には住みたく無いと断言する都会派なので、一人暮らしになるが、それはそれで十二分に楽しかろう。
夜は開店直後に一人、『いち屋』で飲む。鱧のフライ、キスの天ぷら、カンパチ、ヒラメの薄作り、地ダコの刺身を酢味噌で、それもカボスをかけて食べる。ビールの後、酒は久しぶりに日本酒にした。西ノ関の常温。「人気の『知恵美人』はないの❓」と訊くと「都会の方に出荷するので、地元ではなかなか手に入らんのですよ」という。そんなもんなのかぁ〜。
お腹はパンパンになったが、まだ午後7時過ぎなので開いているはずの『杵屋』を目指す。やってるやってる。ここのうどんを食べないと杵築に帰ってきた気がしないのだ。〆になったがミックスうどんに牛蒡天ぷらをトッピング。杵屋のうどんは別腹か、とうとう全部食べ干して、これで杵築の私の行事は全て終了した。「コロナで客足はバッタリ、大変でした」とここでも同じ話を聞く。寄ってよかった。
(これは夕方撮影)
夜中にまた温泉に入った。湯はすっかり緩くなっていたが気持ちがいい。