帰郷 (1389)

この前書いたのが10月8日だったから、もう20日も経ってしまったのか。この間、実に様々なことがあり、忙しかったり心にゆとりがなかったり。あれよあれよという間に日々が過ぎてしまった。こうして歳を重ねていくのだな。

10月8日、搭乗口を間違えて危うく乗り遅れそうになったが、JAL機は実際に25分遅れて羽田を発った。ところがどこで時間を稼ぐのか、予定の10分遅れで大分空港に到着した。空港で待っていてくれた親友のA部長夫と合流。編集者のSフィーとは以前、トイレ探検隊の取材で会っているから、「ヤァヤァヤァ」と言った感じ。カメラマンのS藤さんとは私は、以前も仕事をしたことがある。

杵築市内での仕事は、思いのほかスムーズに進み、なんと言っても移動に時間がかからないから、お昼前にはサクサクと終了した。途中私が一番贔屓のうどん屋『杵屋』の前を通ったが休みの札が。おそらく開店時間がまだなのだろうと思いつつも、市内を回った後、超多忙の県議長夫先生とは市内で別れ、彼ご推薦の洋食屋『おわたり』を覗いたが、昼飯時ということで満席。仕方がないので、3人でタラタラ城下町の商家の屋並みを見て回る。それにしても暑い。スーツを着て来たのでなおさらだ。

「氷」の看板に惹かれて初めて見る喫茶店に入り、ビールを3本、もう面倒だからと昼メシもここで済ますことに。2人は牛すじカレー、私はナポリタン。うどんにケチャップをかけた感じの、そう確かに昔懐かしい昭和の喫茶店の”不味美味“ナポリタン風だった。〆にカキ氷を食べる。彼らは午後7時過ぎの便で帰る予定だったが、思いの外順調だったので、午後2時過ぎの便に変更。確かにそれだと5時間近く早くなる。ホテル前で別れた。

私が毎回泊まる『いな里』は、杵築市唯一のホテルであり、『杵屋』まで徒歩3分。絶対毎晩訪れる居酒屋の『いち屋』まで5分だから酔っ払っても這って帰れる。とはいえ5年ぐらい前に、ホテルへ帰る途中暗がりのバス乗り場前の溝に足を取られてひっくり返ったことがあるから要注意。

ホテルには天然温泉の展望浴場があるので、とても気にいっている。窓から灘手の海岸が望め、わずかにお城の天守閣も見える。いつも一人しか入浴者はいないので、のんびりつかっていられるのもイイ。午後5時から入浴できるのだが、まだ4時過ぎ。風呂を覗くと湯は7割方溜まっていたので、サッサと入る。熱い🥵🥵🥵。44〜5度か。御徒町の燕湯や四ツ谷の塩湯でこの熱さは経験しているので我慢して入る。

日頃から杵築の情報をスマホのメッセージで伝えてくれる中学校の2年後輩T岡純子ちゃん、いつも紅茶を送ってくれるM山直樹君、A南紀子兄妹を『いち屋』に招待したのだが用事があったのか、紀子ちゃんは以前腰痛と言っていたから酷くなったのか結局2人は姿を見せず、純子ちゃんと飲んでいると、1年後輩のK来隆ちゃんが来たので、彼も参加してだんだん田舎の居酒屋ならではのイイ感じ🏮🏮になって来た。

店主一郎君の母さだ子さんが、「昨日までお客さんゼロだったのよ」と今日が満席だったので大いに喜ぶ。コロナの爪痕は甚大だったことがよく分かる。彼女は我々の親友寿(ジュ)ッさんこと手嶋寿一郎の未亡人。若くして寿ッさんが亡くなったので、女手一つで女の子2人と一郎君を育てて来た。今や杵築でも屈指の人気店。「一平が帰っとるぞと長夫から聞いたんよ」と続々旧友たちがやって来た。みんな杵築中学、高校の同級生や先輩、後輩なので初対面でもすぐに打ち解ける。

かくして故郷の1日目は、ビール、ハイボール、そして焼酎「なかむら」の一升瓶が尽きたところで解散となった。

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