情けは人の為ならず (1414)

12月3日夜、おーこれをメモ書きしてから2週間(今日は12月18日)経つのかぁ〜。先の衆議院選挙で東京10区(豊島区と中野区の一部)から出馬して当選した鈴木ようすけさんの当選後初の「大いに語る会」に出かけてきた。選挙期間中も5日間電話をかけに通っただけに、当選はとても嬉しかった。NHKの先輩後輩の間柄ということで、選挙区でない私も挨拶した。

彼とは25歳の歳の差がある親子ほど違いがあるが、親しくなったのは、当時首都圏部にいた彼がN H Kを辞めると聞いて、「社会部で一緒に事件取材をやろうや」と慰留したことだった。彼は「コロンビア大学院に留学するつもりです」としっかり断ったのをよく覚えている。帰国後、私が大学の教員になっていると知って、わざわざ横浜のキャンパスまで来てくれて、ゼミの忘年会にも飛び入り参加してくれたことがあり、N H K退職後も親しい関係は続いていた。

鈴木さんには口先だけでなく、本当に感謝している、いわば「恩義」がある。それは3年前の参議院選挙に全国比例で出馬した時、一番に心配して駆けつけてくれたのが彼で、今思い出しても恐縮するほど、選挙の素人の私に丁寧に細かいことまで教えてくれたばかりか、実際に選挙カーに乗って遊説にも付き合ってくれた。古巣のN H Kの前で、恥ずかしがる私を叱咤激励してくれ、どうにか演説できたのも彼のおかげだった。

「恩義」あるというのは、私は自分が絶対当選しないなと気づいたのは、投票日の2ヶ月前、5月20日過ぎのことだ、気付くのが遅すぎた。その頃になると私の周りからどんどん人が消えていく、笑ってしまうくらい段々協力者が少なくなる、励ましてくれる人も「口先」だけという、自分でも痛いほど良くわかる。そんな状況の中で、「最後まで諦めずにがんばりましょう」と雑用まで引き受けてくれて、本当に「ありがたい。申し訳ないな」の一言だけだった。最後の最後で、選挙に精通したN山伊知郎さんを紹介してくれて、落選はしたものの惨敗は免れて❓、一応選挙の格好がつく敗け方ですんだのも鈴木ようすけさんのお陰だった。

挨拶では、当選した以上は「彼に任せた」という気持ちで見守ればいいと思うが、希望として「記者の精神、スピリットを忘れずに」、つまり追求と追及を忘れず。また迷った時は弱者の側に立っていただきたい。大企業よりも中小零細、個人経営、大金持ちよりは普通以下の生活者、組織労働者だけでなく非正規労働者、生活困窮者の味方になってほしい」ということを述べた。

『情けは人の為ならず』という格言は、「人のためにやっておくと、その人のためになるだけでなく、回り回って自分のためにもなる」という意味だが、もちろん彼はそんなことを考えて手伝ってくれたわけではないが、今回まさにその通りになって心から喜んでいる。あの時、鈴木さんの他にも、最後の最後まで見捨てないで応援してくれたのが、宮崎1区の渡辺創さんで、彼も初当選した。これはすこぶる嬉しかった。練馬区議選に立候補した富田けんじさんも一足早く初当選して、応援してくれた。投票3日前、首都圏の最後は、相模原市を回ったが、誰に頼まれたのか、初対面の市議仁科なつみさんがずっと選挙カーに乗って回ってくれたりばかりか、街頭演説もやってくれた。

私はもう政治とは無縁、無関係だが、この4人のなかで、こちらから応援に行っていないのは仁科さんだけなので、次の選挙の時には、是非とも応援に行きたいと思っている。相模原市に住んでいて選挙区の人は、ぜひ覚えておいてください、「どんなに弱くても、無理だと分かっていても見捨てない政治家、仁科なつみさん」を。

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