居酒屋六文(1698)

1階の『六文そば』中延店で食べ終わるとちょうど午後5時だったので、2階に移動した。ここで飲みながらFacebookにそば活の模様を投稿すると、これを読んだ『立ち食いそばうどんの会』のベンバーK原務さんから「これから行きます」と返信が届いて、びっくり😵😵😵。

待つことしばし。午後6時前に登場。初対面とあって最初は名乗り合う程度で、私はもう無職の瘋癲老人なので肩書きも無いようなので説明しようがなかった。ところがK原さんは私のことを知っていて、隠すこともないので酒を飲みながら、お互いにどんなことをして来たのか語るところから始まった。

K原さんはSNSで写真も紹介されているプロのドラマー。楽器を演奏できる人は何がきっかけで始めるのか、どういう音楽環境と関係があるのかなど、興味があるのでこの機会にと訊いてみた。13歳の時にビートルズの影響でドラムを独学で練習し、大学生の時にレコーデングしてプロになったという。「凄いなぁ〜」を繰り返す私。

父親が著名な環境学者だが、名前を聞いた時にはすぐにわからなかった。酒を飲むと親しい友人の名前すらすぐには出て来ないのだから、当たり前と言えば当たり前だ。帰ってアマゾンで調べると、児玉隆也さんのルポを書いた時、『チッソだけがなぜ』の賞を書くときに、その関連で岩波新書を読んでいたことが分かった。母親が現代舞踏家というから自然と音楽のある環境や自由な雰囲気の中で幼少期を過ごしたことも影響しているのかも知れない、と田舎者の私はついつい、「生活環境が意識を決定するなぁ〜」と羨ましく思ってしまう。

畏友T橋宗ちゃんのサックスの師匠T中さんと親しく、宗ちゃんの「名前は知っているがまだ会ったことはない」と話していた。今度は4人で飲みましょうと午後11時過ぎに引き上げた。この『居酒屋六文』は、日曜日というのに満席で、大倉山の『ほうろく屋』を彷彿させるものがあった。私はレモンハイ2杯の後キンミヤのロックを7杯飲んだところまでは覚えている。

<サービスでもらったマグロの頬肉のバター焼き>

旗の台駅で降りたK原さんは、電車が去るまで見送ってくれた。私も両親からそれだけは守るように躾けられたことを思い出した。

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