日本のカップ麺🍜🥤🥤🍜を考える 800

800回記念というのに、相変わらず屁のような話で、恐縮至極。ラーメンから蕎麦、うどん、スパゲッティに至るまで麺好きなのは、何度も書いた。「美味い店がある」と聞けば、電車を乗り継いでも、タクシーに乗ってでも食べに行く。これも前に書いたと思うが、山形県村山市まで飛行機で『あらきそば』に新蕎麦を食べに行ったほどだ。

飲みに出ても、ついつい帰りにどこかで蕎麦かラーメンを食べないと終わった気がしないのは、みんなと一緒だ。このところ間食はしていなかったが、お腹の調子がいいと、ついつい夜中にラーメンか蕎麦かカレーを食べたくなる。「我慢、ガマン、がまん」と言い聞かせて、1時間あまり。「美女と食欲には打ち勝ち難し。気をつけろ! 」とは、父の遺言だが、守ったことがない。そのた数々の貴重❓な体験を繰り返してきた。

というほど大袈裟ではなく、食べてしまう。その深夜に食べる「カップラーメン」や焼かない「焼きそば」の中の具の少なさに、いつも呆れている。チキンラーメンの様に最初から卵は自前で、と分かっているのは、織り込み済みだから気にならないが、余りに少なすぎないか。

そこで私は「奥の手」を使う。①増えるワカメ ②のり玉 ③すき焼き のいずれかをふりかける。もう一つは、モヤシを電子レンジで1分30秒チンしてから、カップ麺と一緒にお湯に浸す。こんなことしなくても、「具沢山」をメーカーが作ればいいんだよね。

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