司馬遼太郎賞のOちゃんを祝う 826

20日夕方からは、2月12日(菜の花忌)に、『司馬遼太郎賞』を受賞したO(山俊宏)ちゃんのお祝の会を、元A日新聞のエース記者M山治さんと開いた。

司馬遼太郎賞については、創設された第1回がT花隆さんで、あとはS野七生さん、故•松本健一さん、私の大好きなK方謙三さんとI 島和一さんが受賞したぐらいしか知らないが、評論や小説が対象かとばかり思っていた。聞くと、ノンフィクションもありだとのこと、帰ってからネットで調べると結構大掛かりな賞で、てっきり朝日新聞だけの主催かと思っていたら、全国紙(産経も含む)やN協会、Fジテレビ、B藝春秋など大手マスコミが12社も参加していた。

Oちゃんは、生真面目がスーツを着ている様な男で、W稲田大学院の「調査報道」の授業で、一緒に講師をしたことが縁で親しくなった。その後A日新聞デジタルの『法と経済のジャーナル』に、「吉永祐介とその時代」を、A日新聞OBのM本正さん、編集委員のM山治さん(写真の人)と鼎談をした時、まとめ役をやってくれた。

▲菜の花と新玉ねぎの天ぷら(菜の花忌)

いつも私がアホなことばかり言うので、慣れてきたのか最近はOちゃんも冗談を🤭🤭🤭言う様になり、「だんだん『人間力』が付いてきたな」と褒め称えている。受賞作の『秘密解除 ロッキード事件』には、私の事もチョット出てくるが、I波書店の読者向けだからなのか書き方が今一つ難しくて、むしろ最近A日新聞出版から出した『パラダイス文書』の方が面白いと、昨日書いたばかりだった。

M山さんは、原稿執筆と孫の世話で忙しいらしいが、昨日はタッコーさんの見舞いに行ったとのことだった。当人の様子などを聞いたが、相手が亡くなっているだけに、「これからが大変だ」と心配しつつも如何ともしがたいのが実情だ。

▲K枝さんから戴いた『北雪』を前に記念撮影(鍋は春ワカメのしゃぶしゃぶ)

年末、忘年会に招待したお礼にと、赤坂『も々』のY下和枝さんが、イカ🦑🦑🦑センターに「北雪」(純米酒)をキープしていてくれて、「おまっちゃんが来たら出してね」と言って帰ったそうだ。そういえば、この前そんな話をしていた。お陰で3人で一升を飲み干した。帰りにお礼方々顔を出そうと駅に向かう。

▲多摩川の鉄橋からの赤富士 好い天気だった。こんな日に東京中日新聞の名物記者だった山哲こと山田哲夫さんは亡くなった。

千代田線に乗る直前に電話がかかってきた。他社の中でも特に親しい東京中日新聞論説委員長だった山田哲夫さん、通称山哲が午後4時過ぎに亡くなったと言うから、さすがに飲む気にもなれず真っ直ぐ帰った。山哲は、すい臓がんで長く闘病生活を送っていて、去年11月に70歳になったばかりだった。いつもいきなり「おまたぁ〜」と電話を掛けてくるのが、ここ半年無かったから、そろそろこちらから様子伺いしようと思っていた矢先だった。思った時に行動しないといかんなぁ。山哲の話は、また今度。

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