「天網恢恢疎にして漏らさず」そりゃ逃げきれんわなぁ〜 893

こんな話3日も続けて書いたら我が友人、知人たちから「もうええょ」と言われそうだけど、一言。

セクハラ次官を庇う麻生太郎大臣をはじめ、セクハラする様な官僚たちには、女性に対する感覚が「明治(時代)」を感じる。つまり、福田淳一次官の実年齢は58歳でも、頭(発想)が、男尊女卑の「明治」と言う意味だ。もちろん1945年の「敗戦以前」と言ってもいいが、言葉の綾としてだ。

政治家や官僚の中には、この「男尊女卑」感覚に加えて、いつもヒエラルキーを背負っているから、これを「官尊民卑」に置き換えられる。市井の人々に対してはもちろん、社を代表して取材に来る記者たちに対しても、「御用聞き」と上から目線で対応する習慣が身についているのでは。ましてやこれに「男尊女卑」が加味されるから、女性記者に対して、どこか男性記者に比べ”侮っ”ているところがあるのではないだろうか。

偶然読んだ右翼系❓のインターネット論評には、「やっぱりTV A日の記者なら、別の意図(最初から陥れよう) があったのでは」と書いてあるものや、それに似た内容が散見された。彼らは皆、頭に「明治」が巣食っている輩なのだろうし、底意地の悪さを感じた。被害者の記者は、最初は笑い飛ばしていただろうが、いつも同じことを繰り返す福田次官に、「堪忍袋の尾が切れた」というのが、実情では。記者が取材先にここまで出るのは、余程考え、悩み抜いてのことだろう。

女性記者は大変だと思う。N協会時代の経験から分かっていることは、彼女たちは男性記者以上のしぶとさと女性らしい思いやりや優しさ、気配りを武器に硬軟使い分けて取材先に食い込んいる。彼女たちにしてみれば、「仕事に男も女もない」というのが、しごく当然だけど本音のはずた。これこそが、「平成的」(元号で呼ぶのも古すぎるな) 、「21世紀的」「現代的」発想だと思う。

今回の事件で、いくら麻生さんや福田さんに「セクハラは、許されない」と訴えたところで、口では分かった風なことは言っても、実は「明治」の頭は付いて行けていないのだ。

このことは、4月30日の『老人力同盟』発会式&全国大会でも、「老人力は、セクハラにどう作用、対応するか」をテーマに話し合ってみたい。

結局、福田さんはガッキーの様には、『逃げるは恥だが役に立』たなかった。そりゃそうさ。「天網恢恢疎にして漏らさず」と言うではないか。

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