三人呑み / 589

    坪内祐三さんの「私の東京物語」が東京新聞の最終ページに掲載されている。以前にも書いたが、現役の作家で目に止まれば必ず購入する、また読むようにしている作家の1人がツボちゃんで、毎日愉しく、と言いたい所だが今回ばかりは今一つピリッとこない。と云うかノリが悪いように思いながら読んでいる。何故だろうか。 考えるに「物語」になりきっていないからでは。成城学園に英語を習いにいった話でも、そこでどんな風に勉強して成績が上がったのか、秀才の親友の勧めで中学生にして塾のテンプラ受講生になった辺りももっと読みたかった。つまりサラリと表面だけ触れているだけなようで、読んでいる方には隔靴掻痒の感があるのだ。

▼そんな話しをしながら毎度お馴染みのF(木啓孝)ちゃんとN協会社会部時代からの親友T橋宗(和)ちゃんの3人で、またまたまたまた御茶の水イカセンターで呑んだ。 とはいえ、2人は初めて。このブログを読んでくれていて、余りに「イカセンター🦑」が登場するので、通りがかりに覗いてみるといつも満員だったらしい。それならと予約して午後6時過ぎから飲み始めた。

今夜も「御茶の水イカセンター」

▼メインは、活きたヤリイカで、醤油をかけると動き出す。宗ちゃん曰く「イカが🦑痛がっているんだよ」なるほど、確かにそう言われてみれば・・・・。この日は、珍しく政治論議が中心で、Fちゃんの「民進党解体論」つまり、①原発再稼働 ②護憲 を争点にして、民進党内親自民党系議員(選挙区事情から仕方なく民進党にいる議員)とは袂を分かつ大手術が必要だと。私は最近、驚くべきことに国政選挙は代々木の候補に投票することが何度かあった。ここまで私が変節?したのは、民進党の路線がピンとこないことによる。議員がバラバラで党派としての体をなしていないからだ。そう云う意味でFちゃんの解体論に通じるものがある。

▼私は安保法制反対のデモによく出かけたが、我々60歳代以上が多く、新聞は「若者も参加している」ともてはやしていたが、60年代〜70年代の政治闘争を見て来た、あるいは参加して来た者たちから見れば、大きなうねりになりきれていないと感じた。電車の中で、ゲームとスマホに魂を奪われている若い人たちを見かけるたびに、言論、思想の自由が奪われようとしているのに・・・関心が薄いように思えるのは私だけだろうか。 

神保町「書斎」にて  3人 ともタバコを吸い過ぎた

▼2軒めは、最近よく行く干物の居酒屋と云うより品の良い酒場。いつも名前が出てこない。平仮名だったような。宗ちゃんに聞けば分かるはずだ。この店は、喧嘩の強そうな美人の女将さんまったりした優しい相方とがコンビでやっている。宗ちゃんとFちゃんは、ご近所なので、ここを知っておけば、チョット一杯やるには丁度いい店だと思って紹介した。

▼ところで2人はもう、10年以上前からの知り合いで、G阜女子大学客員教授で、元特捜部長のK崎勝彦さんを囲んで岐阜で一緒に飲んだのがきっかけ。この日は久しぶりの再会で、酒も話もとても愉しくて中々別れがたく、さらに古本屋街のK宮山書店の裏にある文壇バー的な「書斎」に繰り出した。ママのK宮山さんのお嬢さんが、Fちゃんの会社がある場所に建っていたB化学院の出身と云うことで、「B化学院話」で盛り上がった。宗ちゃんのマンションは、B化学院の斜め前、私の父が勤めていた大学の学長は、B化学院の出身で姉や私を可愛がってくれ、上京すると当時田村町(今は平河町)にあった、先代の「四川飯店」でよくご馳走してくれた。私がエビの🦐チリソースが大好きなのは、生まれて初めて食べた「四川飯店」の、あのズッキンと来る、辛らいが一度食べたら病みつきになる美味さに魅せられたからだった。といつものように脱線したが、要はママと私達はB化学院に共通項があった。

▼宗ちゃんは、翌朝早く福岡で開かれるN協会時代の同期会に出るので午前5時起きだと。Fちゃんは、東中野の映画館に朝10時から「大人ドロップ」を見に行くと云う。私は7時59分新横浜ののぞみで、天理のY中さんの田植えの手伝いに行くので指定席を取ってある。午後10時を回ったところだから、早く帰ればいいものを、更にFちゃんと2人で赤坂の「もも」に顔を出した。「小笠原から帰ったら、また顔を出すから」と言って先週帰った手前、少し恥ずかしかったが、和枝さんは、そんなこと気にしないだろうとFちゃんの後ろから付いて行った。

▼1時間ほどいて最終電車の時間が近づいたので引き上げた。F ちゃんがいい奴なのは、彼はテレビ局の役員だし、都内の近場に住んでいるのだからタクシーでも構わないのに、私に気を使っていつもわざわざ千代田線で一緒に帰る。私の方が先に来たので、ここでバイバイ。車窓から、彼が「じゃ!」と右手を挙げているのがよく見えた。

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