滝本三日目 / 553

   䂓矩子さんの家は曽祖父の時代からこの一帯の山林地主の一人で、家屋は築127年という明治の代物だ。門構えを見ても相当年季が入っている。とにかく家が広すぎて寒い。でもこの地で生まれ育った彼女はつい数年前まで火鉢で生活していたと言うから驚きだ。私がエアコンを自宅のようにガンガン温度を上げると「暑い、暑いわ」とすぐに襖を開ける。「温帯さんと寒帯さんみたいですね」と私が井伏鱒二の多甚古村のようなことを言う。

   3日めの朝食は、刺身の昆布〆を仲良く半分づつ。いつもの山菜や季節の野菜にアサリの味噌汁。きょうは、昨夜䂓矩子さんが思い悩んでいると言っていた、用水路の修理をすることにした。「以前は一人で砂袋もセメント袋も担いで、修理していたのに、この所、力が出ない」と嘆いていたから、「4宿12飯の恩義で手伝います」と助っ人を買って出た。セメントを捏ねるなんて生まれて初めてのことだ。駐車場横の資材置き場から砂やセメント、バラス、ペットボトルに入れた水を10本。車で田んぼまで運ぶ。䂓矩子さんの口癖は、「車に乗れなくなったら最後や」で、高齢者の免許返上には批判的だ。確かに車がなければ一日の移動が制限されてしまう。それが切実な問題なのは、住んでみるとよく分かる。

   車から資材を下ろして、田んぼのそばの用水路まで持っていくのが、これまた一苦労だ。ペンと Mac 以外重いものを持ったことがない、学生時代は持てたけど、だけに、汗びっしょりに。山間を渡る風が心地よい。お茶とポカリスエットを飲んでばかり。それでも30分ほどかけて運び込む。続いてプラスチック製のトロ箱に砂とセメントを入れ、水を加えてゆっくりかき混ぜる。これは䂓矩子さんの方が熟練だ。何度かそれを繰り返し、箱いっぱいになったところで、まずひび割れて水が田んぼに来る前に、地中に流れ込んでしまう割れ目に砂利を入れて細い棒で突きまくる。これは私の仕事。その後に練ったセメントを左官屋さんのように埋めたり、貼り付けたりしていていく。これは交代でやる。「世間話をしながらだとすぐに時間が経って、楽しい」と䂓矩子さんが喜ぶ。やはり孤独な作業は、やっていると雑念が出て来るらしい。

     お昼ご飯を食べた後、二人とも昼寝をして、午後3時から再開。締め切りがない生活は気楽でいい。私が目指しているのは、インドの「マヌ法典」で言う所の四住期の4番目「遊行期」的生き方で、ここでの日々の暮らしはまさにそのものである。夕暮れが迫る前に終わったので、天理ダムの桜を見にドライブする。桜はまだだったが、梅が綺麗。「この梅林の土地は、父の時代までウチだったの。ダムを作るときに買収されたの」とにかく広過ぎる山林の持ち主であることは、今も変わりはないが、製材不況で商売は廃業状態だと言う。それでも植林した木の周りの枝打ちは続けていると言うので、明日は山に登ることに。

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