問わず語りに奈良の話をしよう / 550

    奈良に行った私はその後どうなったか?  4泊5日生活したのは、天理市の市街地から車で30分ほどの山間にある滝本町、天理ダムまで10分足らずののどかな山里だ。電話はドコモ以外は通じないので、 au の私は完全にシャットアウト。もちろんiPadも至難の技だ。「京都から」が、掲載できたのは、師匠のY俊ちゃんが、私のブログがなかなか掲載されないのを心配して、見てくれたところ、本人(私のこと)が気づかぬところで、パソコン上、原稿が宙ぶらりんになっていることに気づいて、修復してくれたからだ。例え40歳年下でも自分より優れた人を師と仰ぐのに躊躇はいらない。

    滝本町は20所帯余りの小さな集落で、林業と農業の村だった。しかしご多聞に漏れず、高齢化と過疎化が進み、農業を続けていく家が年々少なくなって、年末年始とお盆の時期しか帰ってこない家も年ごとに増えている。私が居候したY中䂓矩子さんは、この地で生まれた86歳。曽祖父の代からの山を守って生きてきた。50代の時に両親が病で寝込んでからは、家族を大阪・吹田市に残して、看病と同時に山の仕事に関わるようになった。それから30有余年、両親が亡くなった後も、一人娘として山を守り、山と共に生きる暮らしを続けている。

    そんな彼女と知り合ったのは、週刊文春で連載していた『トイレ探険隊がゆく!  』だった。彼女は、毎週稽古事で京都に行く際、必ず読むこの連載にのめり込むようになり、様々なトイレ体験を送ってくれた。四国のお遍路の特集の時、彼女から質問が来た。「88ヶ所の全てが、真言宗ですか?」これに応えて、88ヶ所の宗派一覧表を送って差し上げた。まさか返事が来るとは思っていなかっという彼女と、これがきっかけで手紙のやり取りをするようになり、今回の農作業の弟子入りにつながった。

スポンサーリンク

フォローする

スポンサーリンク