満月を眺めながら思うこと(1168)

政治向きのことは、ここでは基本的に書かないことにしている。というのも私のブログの読者は幼稚園から大学院、あるいは社会に出てからの友人、知人、取材先、100人ほどを対象にしているからで、中には大親友で自民党の県会議員もいれば、元ヤクザの親分もいるし、それぞれの立場の人に、私の政治観を書いても鼻白むだろうと推察するからだ。

が、そんなことを抜きにしても今回の日本学術会議のメンバー選考は、菅政権の無教養なファシズム的性格を色濃く反映している。治安維持法で最初は左翼、次第に自由主義者や大勢翼賛政治に賛同しない者を摘発していった構図と似ている。かつての自民党にはこうした暴挙を許さない自由と民主主義を貫く政治家も多々いたはずだが、どんどんファシストたちが跋扈して来た。「管理」「締め付け」「弾圧」の危険な負のスパイラルが進んでいる。

と思いながら庭で480円に値上がりしたケントのメンソール1ミリを吸っていて、頭を上げると今夜も満月が煌々と輝いていた。

 <一昨夜の月 月を見ると阿倍仲麻呂の「あまの原ふりさけ見れば春日なる

   三笠の山にでし月かも」を思い浮かべる人は多かろう>

<昨夜の月 葡萄棚も一面覆っていた葉っぱは枯れ落ちて、月がよく見える>

このところ家にいるときは、パソコンの前に座りっぱなしで、今日も富士通のScanSnapのアップデートや操作方法を、一昨日に続いてL洪千教授にズームを使って習った。機械は日進月歩。私が愛用していたものは型が古くて、いろいろ設定をやり直さないと上手く起動しない。教えてもらったおかげで、ようやく独力で使える様になった。

私の様なコンピュー音痴は、どんどん置いてきぼりを食らう社会になってしまった。社会全体が経済弱者を切り捨てていくのと同様に、パソコンやタブレット、スマホを上手く使いこなせないPC弱者はスポイルされていく。

なのに可笑しいのは、使いこなせる様になると、それはそれでとても嬉しい。人間とは矛盾や自家撞着を抱えた、自分勝手な動物だとつくづく思う。庭先から隣の保育園の大きな金木犀から甘い香りが漂ってきて心地よい。夜ともなると空気がひんやり。秋本番も近い。

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