滝本からの報告 畑仕事 / 593

3日目(6月5日)ともなると疲労はピークに達して、「ゆっくり寝て下さい」のお言葉に甘えて、気がつけば午前9時を回っているではないか。あちゃ〜。リビングに行くと師匠の䂓矩子さんはすでに朝食を終え、田んぼの水回りを確かめに行って、いま戻ってきたところだという。スミマセン。朝ご飯は、レタスチャーハンとみそ汁。師匠が作った蕗の薹や土筆、山ウドを掘り起こしてきて畑に植え換えたウドの芽などの佃煮、それに好物になった紫蘇のケチジャン・・・と食卓が賑わうが、チャーハンで十分だった。

 ▼手植えとばかり思っていたので5日間を予定していたが、田植えは2日で終わってしまったので、この日が最終日。午前10時を期して、下の畑でサフランと島ラッキョウの球根の掘り起こしとスナップエンドウの摘み取りの予定だ。2人だけなので頑張らなくては・・・と3本歯の鍬で畑を掘り起こす。「痛ててて」を繰り返しながら鍬を振る。肩も腕も腰も足も、節々が痛い。しかし少し続けていると苦にならなくなるから不思議だ。柔らかい土の中から、出て来る出て来るサフランの球根が。師匠は、このサフランからめしべを採って乾燥させ、大量の香料を作っている。サフランは高級食材というか、サフランライスなどのインド料理やパエリア、リゾット、ブイヤベースに欠かせないとのこと。これを滝本で大量に生産して「滝本サフラン組合」を作り、奥さん達の副業にしたら良いと夢を語っていた。わたしもジャム瓶いっぱい貰ってきた。

▼こういう話をしながら、私は5分鍬を振り下ろしては10分休み、師匠の䂓矩子さんは20分掘り起こしては、5分休む。だが、座ってもその周囲の雑草を引き抜き始めるから休憩にならない。私が唯一20分ほど続いたのは、スナップエンドウの摘み取りだけで、みるみる籠がいっぱいになった。これを半分ずつ分けてお土産に持たせてくれた。師匠のポリシーは、「ご先祖様から受け継いだ農民魂を継承したい」の一念である。崇史さんが近代農業を考えていることが気に入らないのは、「ご先祖様の山林や農地を大切にして、土と共に生きていこうという精神が欠落しているからだ」と断言する。「21歳違えば考え方も異なるのは当然ですから」と同じ歳の私は、崇史さんの言い分にも理解を示すのだが、中々納得してくれない。まぁ赤の他人が口を挟む問題ではないと、それ以上は話さないように心がけている。

▼「さぁ引き上げましょう」という気になっても、移動中に気が変わる。「チョット待って」とコロンボ刑事の様なことを言い、別の畑のジャガイモの生育を見ていく。ゴロゴロ出て来るたびに「土は可愛いなぁ。チョット空いたところがあったから植えておいただけなのに」と嬉しそうに独り言を言い、自分が食べる分だけ収穫する。畑には同様に多くはないが、自給自足の分のタマネギ、キュウリ、トマト、茄子、ピーマン、紫蘇、万願寺唐辛子、トウモロコシと思い出せないほどの野菜から、グレープフルーツ、栗、柿、びわ、キウイとこちらもキリがない。しかも山に入っては山菜を採り、おいしそうなモノは抜いて畑に移植するのだから、86歳とは思えないバイタリティーだ。「ひとり暮らしは淋しくないですか」と訊ねると、「そんな暇ないわよ。これ作ったら誰にあげようとその人達の顔を思い受けベながら、やっているんだから」とハッキリしている。斯くありたいものだ。

 ▼午後1時過ぎに引き上げて帰り支度を始めたら、下着とTシャツ、ショートパンツを洗っておいてくれたのには、恐縮至極。母親と前のカミさんと4年半同棲していた彼女と今のカミさんしか洗って貰ったことはないのに、何と師匠に弟子のパンツやシャツまで・・・。畏れ多いことしきり。お土産に蕗の佃煮や夏みかんのマーマレードなど4つも瓶詰めを貰って「佃煮長者」になった。お別れに、地元だけでなく神戸や堺からも食べに来る「うなぎの三島屋」の特上鰻丼を一緒に食べた。私は、酒の肴の時は皿に乗せて貰うが、ご飯が付くときは鰻定食より鰻丼が好きだ。こちらの鰻は大分と焼き方が似ていて、皮がぱりっとしている。“天然うなぎ”を標榜するだけあって、身の締まりが好い。小学3年生の時から八坂川で鰻を捕ってきた私が言うのだから間違いない。䂓矩子さんは、今夜はフラダンスの発表会とかで、「ビデオ見ながら練習しなくっちゃ」と駅で私を降ろすと颯爽と引き上げていった。

▼天理駅を午後3時半の急行に乗るとほぼ1時間で京都駅に。何はなくとも「551」を買わなければ。指定席の時間は16時55分なので15分しか時間がなかった。あぁ〜長蛇の列。50分までに順番が回ってこなければ諦めようと意を決して後尾につく。何と16時51分にゲット!! 幸い目の前は新幹線の改札口だ。大きな袋をぶら下げて、エスカレーターを駆け上がるとのぞみが入ってきた。車内ではKindleで桜木紫乃の『誰もいない夜に咲く』を読んでいたら、新横浜に到着した。今にも雨が降り出しそうな真っ黒い雷雲が、駅周辺を覆い尽くしていた。自転車をせっせと漕いで家に入ったとほぼ同時に叩きつけるような雨が降り出した。誰もいないリビングで、鳥の餌台を見ながら、この3日間を思い出していた。

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