喜多條忠さん逝く (1419)

続々届く訃報に慄いている。今度は作詞家の喜多條忠さんだ。11月22日に亡くなられた、まだ74歳だった。若すぎる。不思議なご縁で、NHKにいた2005年頃、糖尿病の教育入院で済生会中央病院に入っていたとき、隣のベッドにいたソニーのN松伸幸さんを見舞いに来た際、 知り合った。 

   <自宅に飾られていた喜多條さんの在りし日の姿>    

馬が合うというのか、気心が知れるというのか、一緒に飲みにいったり、奥さんや娘さんたちとも大倉山のほうろく屋で飲んだことも。その頃『女房逃ゲレバ猫マデモ』(幻戯書房)が出て贈っていただいた。そのお返しに、小学校に登校する娘を渋谷まで見送りながら、掛け合い漫才のように、私が件の本を読んでいるフリをすると娘が「お父さん、そんなに笑って面白いの」「あぁ何度読み返しても笑ってしまうんだよ」「なんて言う本なの?」「あぁ(と表紙を見せながら)『女房逃ゲレバ猫マデモ』だよ」これを結構繰り返した。この話には喜多條さんも大ウケで、会うたび、電話のたびに「お嬢ちゃんは元気ですか?何年生になりました?」と聞くのが常になった。

喜多條さんと飲んでいて愉しいのは、「言葉」の話を聴くときだった。五木ひろしさんが歌った「凍て鶴」の作詞は喜多條さんだが、私はこの時初めて「凍て鶴」と言う言葉を知った。「それは広辞苑にも出てきますよ。私は小学校3年の時に大病して学校に行けなかったら、担任の先生がお見舞いにやってきて、『これを1ページめから全部読め』と言って『広辞苑』をプレゼントされたんですよ。それでその日から毎日1ページを目標に最後まで読みました。その後も繰り返し読んでいるうちに、言葉と親しくなりましたね」神田川、赤ちょうちんが世に出た背景にはこんなことがあったのかと感動したのを覚えている。

私が飲んでいて何かの拍子にたまたま浅川マキさんの歌を口ずさんでいたら、「おーマキ好きなんですか?」と言う話になり、「にぎわい」や「ガソリン・アレイ」をちょっと歌ったり、浅川マキにまつわる話をした。するとしばらくしてから電話があり、「12月28日マキのライブに行きましょう。もうチケット買ってあるから」と。そこで共同通信のT花珠樹さんと一緒にピットインに出掛けた。喜多條さんは茶色の皮のジャンパーを着ていて、ノリに乗っていた風だった。聴いた後、楽屋でマキさんを紹介された。「一平さんというの。いいお名前ね」と言って私の手を取られた。柔らかい赤ちゃんのような手をしていた。亡くなった当日も喜多條さんから「マキが死んだ」と電話があった。確か数日後に喜多條さん、マキさん、おそらくT花さんも、一緒に飲むことになっていた。そのうち「マキの連載やってるんで書いてよ」と電話があり、指定された雑誌社に原稿を送った。すると今度はそれが単行本、喜多條忠責任編集『ちょっと長い関係のブルース MAKI 君は浅川マキを聴いたか』(実業之日本社)になった。

よく訪れた先から電話をくれたり、その地の特産を送ってくれたりした。同じように雑誌の取材先から同様に送ると、今度は大阪船場の畳半畳分もあるような大きな大きな昆布が届いた。お互い喜ばせ好きの性格なのも親しさが深まる一因だった。競艇が好きで解説もラジオでやっていたが、その話の流れで、私が警視庁担当の頃、ちょうど商法改正の頃の総会屋・O田薫さんの話をするとすごく喜んで、「彼は何百万円単位で賭けるんだけど、勝つとすごいし負けるとスッテンてんなんですよ」と大笑いしながら、彼にまつわる色々な珍しい話を聞かせてくれた。

3年前に参議院選挙に出たとき、誰か推薦人になってくれる人を考えたとき、すぐ思ったのが喜多條さんと溝口敦さん、石川 旺先生、南日本新聞論説委員だったH本勝紘さん、高校の担任で住職のI藤公範先生だった。5人とも二つ返事で引き受けてくれたのだが、いずれも「ああいいですよ」の一言で快諾してくれた。可笑しいのは、「それは、快挙です❤️ きっと受かります!心より応援させていただきます。枝野さんはカラオケ好きだから前から応援しております❗️❗️」というメールが喜多條さんから届いた。私は「いやぁ砂漠に目薬うをさすようね孤立無縁の戰いです」と返事した。とても嬉しかった。

<SNSからの引用>

奥さんの輝美さんの話では、20年の2月に健康診断で癌が見つかり、抗がん剤治療していたものの6月に転移してその後悪化したといい、「覚悟はしていました。74歳の誕生日を迎えられたのが良かったです」とも。好い兄貴を失ったようで、聞いた時は辛かった。亡くなってから20日ほど経った12月11日土曜日の午後、綱島にあるご自宅にお参りに行った。

輝美さんも覚悟していたことで、時間も経ったので落ち着いた様子だった。遺影を見たら愉しい思い出が噴出して、不謹慎ながら(私は悲しい時はいつもそうなる悪い癖がある)1時間15分くらいずっと2人で笑いっぱなし、それもバカ笑いで、奥さんも「小俣さんとは笑ってばかりでしたから喜んでますよ」と言ってくださった。心からご冥福を祈ります。

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