「三男」と呑む / 517

   漱石の『三四郎』を読んだのは、中学3年の夏休みだった。以来「三四郎」という名前が好きで、男の子が産まれたら命名しようと思い続けていた。藤沢周平さんの作品を読むようになってからは、「周平」が候補に加わった。女の子の名前は考えずじまいだったが、産まれてきたのは・・・。まぁこれはこれでとても可愛くていい。だが息子と呑んでみたいという叶わぬ願いが潜在的にあるためか、ついつい気の合った若い友人を勝手に「長男です」「こいつは次男」などと人に紹介したりする。アホか。そうなんよ、本当にアホというか馬鹿といおうか。

  一応本人たちも笑って聞き流してくれるので、勝手に言っているのだが、因みに長男はK談社で私の『消えた警官』の担当だったI井克尚ちゃん、次男はB春で「トイレ探検隊」の担当者だったソフィーことS父江崇ちゃん、それに三男は、このブログの立ち上げを指導してくれた四国のお遍路で知り合ったY俊ちゃんで、彼らと呑むたびにオヤジの気分を味わっているのだ。ホンマ?やっぱりアホやねん。で、この日24日は、三男と赤坂の「とど」で呑んだ。

  「とど」は大分料理の店で、以前は新宿・花園神社のすぐ側の地下にあった。「りゅうきゅう」という鯛を独特のタレや薬味に漬け込んだ刺身や私がいた時分には存在しなかったか無名だった「とり天」、太刀魚の塩焼き、それに我が儘を言って出してもらった梅干しとらっきょうをつまみに大分の銘酒「西の関」を呑む。三男は燗酒、私は冷酒。久しぶりの「西の関」は、私には甘く感じられたが美味かった。呑んだ後に気づいたが、一番好きな佐渡の「北雪」も置いてあった。今度来たときに。仕上げは大分名物「だんご汁」。山梨の「ほうとう」に似た具沢山の味噌汁の様なもので、懐かしくすするというかほおばった。

  月末の金曜日と云うことで、店は予約客でいっぱい。座ったカウンターの逆隣りは大衆演劇の沢竜二さん。お連れは40代とおぼしき、和服のよく似合う凜とした美人だった。「歳をとってもモテる人はモテるのだ」と羨ましかった。和服は薄紫に灰色が混ざったような「さくらねず色」の品のいい色合いで、同じような着物を「N協会三大美人」の一人H理恵さんが着こなしていたのを、国立劇場で見たことがある。

  帰りに100メートルほど離れたビルの5階にあるバー「もゝ」にも顔を出した。ママというか店主というか、和枝さんは先週大腸の病気で慈恵医大に入院していた。今週からお店を再開したと聞いたので、遅ればせながらご尊顔を拝しに。店はすでにいっぱいで、心配したお客さんが引きも切らず訪れている様子。これじゃ逆に忙しすぎて再発しなければいいがと口には出せず、密かに思ってしまう。そういう私も忙しくさせている一人だと気づいたし、本人も元気そうだったので、梅干しを肴にシーバスリーガルのロックを2杯飲んで引き上げた。我々が店を出ると代わりにカップルとすれ違った。彼らも見舞い?客だろうか。ビルの下で三男と別れたが、午後6時から笑い放しの4時間だった。

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