電子書籍の時代なのか / 504

好きな歌に吉田拓郎さんの『恩師よ』がある。<お前は何をしているのかと雲を突く、声が聞こえる> や <時計の針は、戻りはしない> の歌詞が胸を打ったのは、随分前のことだ。いま65歳になってこの歌が甦る。

今の私は何をしているのだろうか。風邪の間は終日ベッドで、Kindle版の吉川英治『親鸞』と『三国志』を読んでいた。学生時代は平凡社の中国古典文学大系シリーズで『三国志演義』を読んだが、それがきっかけで、『水滸伝』『西遊記』『金瓶梅』と4大奇書に嵌まり、さらに『今古奇観』や『儒林外史』『官場現形記』など片っ端から乱読した。そのときの60巻が書斎にあるが、いまや文字が小さすぎて読むのが辛い。そこでKindleが活躍するわけだ。iPadも持っているが(写真)、こちらはデカくて、重いからベッドの読書には適さない。

  Kindleは、日本で発売になった直後に購入した。というのも私以上に新しもの好きのK談社のI井克尚さんがいち早くネットで購入していて、たしか赤坂の「もゝ」で一緒に飲んでいた時、「坂上さんも買いなさいよ」と勧められて、その場でネットで申し込んだ。しかしどうもしっくりこなくて放っぽらかしていたら、当時小6だったか中1だったかの娘が、マンガを購読して愛用していた。ところが、ここ1年余りで私の老眼がドンドン進み、とうとう小さい文字を回避したい欲望が勝り、いまやベッドの友として、Kindleは手放せない。

  電子書籍に慣れてしまうと、学術書の文字の小ささが気になる。そこで今度はiPadで読めるように、片っ端から断裁して、スキャンで読み取り、大きな文字で読んでいる。紙の本を断裁⇒スキャン⇒iPadというのは、正直抵抗があるが、便利さに負けてしまう。かつて吉本隆明さんが書斎に大きな電動式?のルーペを持ち込んで、小さな文字を拡大して読んでいる姿を、雑誌の写真で見た記憶がある。いまならさしずめKindleかiPadを愛用していたことだろう。いや、娘のハルノ宵子さんやバナナさんがいるから既に使っていたかも知れない。

  昼間は、買い物に行くとあとはすることがないので、新聞の切り抜きをしながら、隅から隅までじっくり読む。かつて5紙購読(東京タイムズまで購読していた)していたのが、1紙ずつ減って、とうとう昨年12月からは全国紙とブロック紙の2紙だけになった。その分よく読む。近いうちにデジタル版に切り替えようかと考えている。雑誌だって、週刊文春もデジタル版が出ているし、週刊現代もそうだ。あと5年もすると、紙媒体はますます厳しくなるだろう。

こんなことを書いていたら眠くなってきた、Kindle持ってベッドへ行こう。

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