33年ぶりのサバ刺 小見川今年最後の昼メシ 724

思えば10月19日に生まれて初めて、千葉の小見川に来たが、以来入院の11月21日、抜糸ならぬ抜管の今日と、合わせて3回訪れ、4回食事をした内の3回は「魚🐟平」だった。

< 次に小見川総合病院を訪れるのは、来年の2月20日なので、今年最後の「魚🐟平」となると食事は、刺身定食とソイの煮付けだ。前回は海鮮丼とカキフライ、ワカサギの唐揚げだつたが、基本は刺身定食+煮付けやフライ、生牡蠣などにすることにしている。 ▼通常、刺身定食の刺身は、すでに何かが決まっているが、女将さんが覚えていてくれて、そりゃ先週も来たのだから、リクエストのサバを入れてくれた。生のサバの刺身を食べるのは、実に32年ぶりのはずだ。関アジは食べるが、関サバは仲間が注文しても黙って手を出さない。羹に懲りて膾を吹くの様な話だが、苦い思い出がある。 ▲ソイの身が反り返っている。新鮮さの証

▼当時付き合い始めて2ヶ月ほどで、まだ深い仲ではなかった彼女と、夜回りの後、新宿区役所裏の飲食店で飲み、胡麻鯖の刺身を食べたまでは良かったが、これに当たった。

▼2軒目だったか3軒目の新宿2丁目「おしげ」で、急に全身から蕁麻疹が出て、七転八倒。そこにA日新聞のU野さん(彼は後に冷泉家の本を編集した凄い人)が現れたか、前からいたのか、何故か抗ヒスタミンを持っていた。これを飲んだら30分もしない内に、蕁麻疹は消えて無くなった。あれからサバ刺は食べていない、はずだ。シメサバは大好きだけど。

▼ただ午前2時過ぎというので、そのまま新宿プリンスホテルに彼女と泊まったのが、その後の人生を大きく変えることになった。1985年11月2日のことだ。彼女が30、私が33だった。若かったね。今度のサバ刺、果たして再度、我が人生を変えるのだろうか。

▼人生を変えるという点では、主治医のS水純人先生に会えたことは、これからを大きく左右する。自らを消極的な日常に落とし込んで来たこの8年、とりわけこの3年を振り返ると、逆に何んだか急に精神が躍動するから不思議だ。

▼それに「魚🐟🐟🐟平」を知ったことも、小見川に来てとても好かった。電車に乗っているだけで往復6時間以上、我ながら 🎶 思えば遠くへ来たもんだ ♬ 慣れれば遠いとも感じなくなった。小見川好きだよ❣️

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