たわいもない話の愉しみ / 507

 古代ローマ時代のBC59年カエサルは、元老院で行われた議事や討議や決議の全てを会議の翌日に、ローマの一画の壁に貼りだした。これは「アクタ・ディウルナ」と呼ばれる日報で、ディウルナという言葉は、「ジャーナリズム」の語源と言われている。その意味は「日々のこと」で、漱石門下の物理学者・寺田寅彦は、『ジャーナリズム雑感』に<ジャーナリズムの直訳は日々主義であり、その日主義である>と記してある。私もそれに倣って、「まるでお主は屁のような」と言われそうな、たわいもない、軽佻浮薄の日報を”ジャーナリズム活動”の一環として綴っているのである。ホンマかいな。

  さて誰も気にしていないと思うけど、家人のインフルエンザは、病院に連れて行った日の夕方には、改善。39度あった熱も37度4分と普段病院に行かない、薬は飲まない身体には、凄く効き目があるようで、「病院の薬はキクわぁ」と少しずつ女トランプのように口が動きだした。私は野菜スープにご飯を入れた洋風おじやを作ると、「あらリゾットね」と、こんどはベーコンも一緒に食べた。一気に快復基調でだが、まだ2日はゆっくり寝た方が良い。

 7日はどうしても会わ無ければならない人がいて、四谷三丁目、荒木町の「万作」に出かけていった。万作は知る人ぞ知る、当たり前か、隠れた名店で一昨年の12月までは、四ッ谷駅に近い若葉町にあった。が大将の万作さん(たしか本名は洋二だったような)35年?をもって店を閉じた。その閉店前の1ヶ月は、連日大賑わいで予約が取れず往生した。私はF木啓孝兄に連れていってもらったのが最初で、大将と一緒に店の常連とキャンプにも参加した。まぁF木兄同様、兄弟のようなもんだ。

 32〜3年は通ったけれど、山本夏彦翁と知り合ったのもこの店だった。きっと「雑魚亭日乗パートⅠ」で書いたかも知れない。とにかく有名人の隠れ家的存在で、元総理大臣や官房長官、いまの野党代表など与野党はもとより、私が当時勤めていたN協会の社会部も政治部も飲みに来ていた。当時まだN協会にいたI上彰さんも酒が飲めないのに来たことがあるし、同じ会社にいながら話したことがなかったプロデューサーの大御所Y田直哉さんと知り合ったのも万作だった。普通のこぢんまりした割烹料理屋で、閉店を惜しむ声が強く、とうとう昨年の秋に、場所を荒木町に変えて、しかも店も新築同様の改装で再登場した。

〜万作の紹介ページから抜粋〜

  ここにくると「北雪」が飲めるのでついつい飲み過ぎてしまう。幸い?このところ私の好きな純米酒ではなく、純米大吟醸しかないので、一杯だけにしてあとはハイボールだ。どうしても会っておきたかった人は、万ちゃんの小学校の同級生で、いまは離島に暮らしている。島の暮らしについて聞こうと思ったのだが、友人たちと一緒だったので、挨拶しただけでおしまい。たまたま来た30年来の友人でフリーライターのH原康司さんと2人で、たわいもない話をしながら杯を重ねる。こういうひとときが一番落ち着く。

 帰りは赤坂のもゝに寄って、「美味い梅干し」を3粒、シーバスリーガルを飲んで30分足らずで引き上げた。東京に出て行ったときにしか顔を出さないので月に1〜2度だが、ここで知り合う人は実に好人物が多く、たわいもない話でも愉しい。

 明け方目が覚めた。娘の朝ご飯と弁当を作るためだ。昨日は彼女が作った(キーシュの残りとすき焼き佃煮を弁当箱につめただけだったが)ので、今朝は私がと。ところが昨夜は飲んで帰ったから、午前1時までやっている菊名の東急ストアに立ち寄るのを忘れてしまった。冷蔵庫には卵とベーコンと青梗菜、舞茸くらいしか無い。そこで卵焼きと青梗菜+舞茸+ベーコンのバター炒め。ご飯に永谷園ののり玉をかけ、椎茸甘煮を潜り込ませて完了。

 プラスチックのゴミ出しの日と間違えて午前5時過ぎに出かけていったが、後で翌日だと娘に教えられ、あわてて回収に。ドタバタの朝だった。いつもは家人がやっているわけで、頭が下がる。

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