闘う脊柱管狭窄症ジジイにバレンタインチョコ / 511

先週からの痛みが持続して、とうとう土曜日以降名実ともに”寝たきり老人”になってしまった。とにかく歩けないのだ。インフルエンザが終息したと思って喜んだばかりなのに。土曜、日曜とも家族がいないので自分で食事を作るのだが、台所に立っているだけで、右足が急にヒンヤリする。というより小便を漏らしたのでは?とドキッとする。毎度のことだが、神経がそう感じるだけで粗相はしていないのだ。そうした忌まわしい感覚やしびれ、痛みが波状的に襲ってくる。

  「椎間板ヘルニアを経験した人は、まずなりますね」と整形外科医が、嬉しそうに、いや気の毒そうに?話した後、「腰椎の第4と第5の椎骨の間が完全に潰れてますからね」と説明してくれたのは、一昨年の11月のことだ。なんで嬉しそうに見えるかというと先生が、高橋克実さんによく似ているからだ。そういま日テレの「スーパーサラリーマン 左江内氏」の簑島課長役で出ているあの人だ。まさかこの私が。究極の老人病に。と今更嘆いても仕方がない。大学1年目のゼミ旅行で沖縄に行ったときにやったぎっくり腰が悪化。それが全てだった。

  それでも13日の月曜日は、万難を排して大学に出かけた。卒業論文発表会が朝からあるためで、これは休むわけにはいかない。新横浜駅までは自転車だが、不思議なのは、漕ぐときは左足がマヒして、歩くときは右足なのだ。朝8時前の満員電車に乗るのもこれが最後かもと思うと、つり革にぶら下がって痛みを堪えていても、頑張れそうだ。幸い2つ目の新羽で座れた。このところベッドで寝ていることが多いので、座ると腰も痛い。ダメだこりゃ、本当にジジイになってしまった。それでも開会30分前の午前8時半にはたどり着いた。

  合同発表会は、3つのゼミで行われた。今年の私のゼミ生は、出来が良いので気が楽だった。早い内から卒論の本論を提出させ、それから概論を書かせたので、みんな頭の中に発表すべき内容が入っている。それでも書き上げるまでは、脅したりすかしたりしながら締め切りを守らせた。自分のゼミについては、担当教員は質問しないが、他ゼミにはお構いなしだ。教授のSちゃんが、バシバシ質問をして(詳細は書けないけれど)発表者をたじろがせる。「なるほど、そう来たか」とけっこう笑える。その点私は、他のゼミの学生にも優しい。「バナー広告って、そんな方法で収益が上がるの?」と質問がゆるいので、発表者は喜んで答えてくれる。今年の私のゼミの卒業生は、全員就職も決まりヤレヤレ。

   普段なら発表会後は、学生たちと天狗で打ち上げをするのだが、歩けないのと16日の最終講義の際のパワーポイントを作らないと間に合わないので、当日の夜の「お別れ会」で打ち上げも一気にやってしまうことにした。ごめんな。

パワポは静止画はどうにかなるが、DVDの一部を入れ込むのは、私のようなパソコンの”若輩者には荷が勝ちすぎてる。しかし大いなる助っ人が隣の研究室にいる。L洪千准教授で、「やってあげますよ〜」と軽いノリで手伝ってくれた。彼は馬鹿高い編集機を個人で購入して使いこなしている。見ているだけで、「そんな難しいことアカンわ」と私。退職してもLちゃんと若い友人の俊ちゃんを頼りにしていこう。

  深夜本を読んでいると台所でゴソゴソやっていた娘が、顔を出した。「20分だけ眠るから2時20分に起こして」と私のベッドに潜り込む。1人用なので2人だと本を広げるのは難儀だ。仕方がないので読みかけの『日本のインテリジェンス工作』という陸軍中野スパイ学校の本は閉じて、Kindleで『三国志』にチェンジ。これなら軽くて場所取らずだ。でも娘は20分経っても起きず、結局3時になって私が無理矢理起こしたので、慌てて出ていった。というのは、今日のバレンタインデーに友達に手作りチョコを配るためで、始めたのが12時すぎだったから「間に合わな〜い」と焦っていた。

   朝、6時半過ぎにリビングに行くと娘は登校した後で、テーブルの上に私にも手作りチョコが残されてあった。なんだか残滓ぽい。ウサギの糞を大きくしたような・・・なんて言ったら一生口をきいてくれなくなるな。糖尿病には悪い。それでも饅頭なら「餡殺」だが、「チョコ殺」はないからと口に放り込む。マシュマロのようで、柔らかく口の中でパーッとチョコの味が広がった。当たり前か。まぁ美味かった。私はロッテのラミーチョコが好きだった。

スポンサーリンク

フォローする

スポンサーリンク