小島晋治先生を偲ぶ会 959

暑い😵☀️💦一日だった。昼は娘と素麺を茹でて食べる。夏が来たなって感じがするね。一眠りした後、市ヶ谷のアルカディア(旧私学会館)で開かれた『小島晋治先生を偲ぶ会』に出席した。

先生が昨年の3月に亡くなって早や1年が経った。この会は、Y浜市立大学時代の教え子達が主催して開いたもので、私のように外部の人間は、皆無なのでいささか躊躇して出かけたが、まぁ先生の1周忌なのだからと割り切った。

会場で、いきなり次女の史さんがやって来て、「一昨日の毎日の夕刊読みましたよ。大きな記事でビックリしました」と。奥様の久里さんも「読みましたよ、大きく出てましたね」と声をかけて下さって、M日新聞が結構読まれていることを知った。

開会の挨拶の後、各時代で先生と関係があった代表が、次々にスピーチに立った。トップバッターの陸軍経理学校時代の友人という90歳の方の話が、長いこと長いこと。さすがに途中からみんな呆れてザワザワ話し始めて収拾がつかなくなった。司会陣が遠慮がちなので、いくらでも時間オーバーで喋る人が続出した。

D協高校時代の教え子Y山伸一さんが、「校長の天野貞祐先生の自由の考え方は、規律のある自由だったが、小島先生は全くの放任主義的自由だった・・・」と、せっかくいい話をしていても、周囲がうるさくて聞きづらい。

隣の席の子連れ夫婦とその友人が最悪で、さすがに注意したけれど止めない。愛知県の私立大学の若い教員らしいが、自分がこうだと学生に私語を注意出来ないだろうと思った。

次にうるさいのが、◯HKの後輩で、元教養番組のディレクターN井暁君だった。久しぶりに知り合いに会って嬉しいのか、喋りやめない。「せっかくいい話をしているんだから、邪魔するな‼️😡💢」とどやしつけた。

途中奥さんの久里先生(元M蔵野音大教授)が、90歳になるというのに、メンデルスゾーンの「ベニスの船唄」とシューマンの「トロイメライ」をピアノ独奏した。この時でも、喋る馬鹿がいて、いくら小島先生が自由放任主義だと言っても、さすがになぁ〜とこちらが恥ずかしくなった。

長い長い偲ぶ会が終わったと思ったら、「俺にも喋らせろ‼️」というツワモノが次々出てきて、「5分」という約束はそっちのけで、喋る、喋る。

▲白いブレザーの理子ちゃん。最近、原寿雄さんのシンポ、偲ぶ会とよく会うね。A日新聞記者で、4年ほど前に私に取材に来た時、初めて小島先生の姪と知った。ビックリ‼️

会場では、N井君以外で知っているのは、姪のK原理子ちゃんとI波書店のH建朗さん、先生の旧制M戸高校時代からの親友I筒昭さんぐらい。I筒さんとは先生達と一緒に浅草の『婦志多』という料亭で芸者さんをあげたことが3回ほどある遊び仲間だ。

先生には、勉強以外でもいろいろ教授してもらった。鹿児島の『東洋ショー』浅草の『ロック座』で、先生から初めて「ストリップ学」を実見で学んだ。

特に『浅草ロック座』では、「5代目 東八千代さん」という、目が眩むほど綺麗なダンサーに、身も心も震えるほど感動した。「あっ🤭🤭🤭ビーナス❣️俺の🗽女神❣️」と失神しそうになった。◯HKを辞めてついて行きたいと悩むほどの好いダンサーだった。もし今の私だったら実行しそうだ。彼女の行方が分からない。私が知らないだけかもしれない。知ってる人がいたら教えて。

そんないろいろな淡い思い出に包まれて、ひとり静かに引き上げた。雲がかかっていたが、今夜は満月🌕のようだった。

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