『記者』に3通りあり 1036

こんな事を書くのは、一昨日都市大の『特別講義』の対象が1年生だったので、端折ったことが気になっているからかもしれない。

それに、この前『ざくろ坂下』での話で、「記者は職人である」ことについて私が語ったことの、言い足りなかったことでもある。

▲昔鹿児島市易居町にあったM日本新聞社

初任地鹿児島で記者のイロハのイから教えてくれたのは、地元紙M日本新聞のH本勝紘さん、E田峯生さん、H高和宏さん、それにM留三朗さんたち先輩であり、◯HKなら警察キャップのY野敏行さん、デスクの故福田肇さんだった。

彼らは、全員が「記者は職人」であることを誇りに思い、かつ実践していた人たちだった。つまり夜回りや朝駆けに始まり、張り込みや地どりという現場百回を身をもって示していた。

◯HKのキャップもデスクも、夜回りから我々が帰ってくるのを日にちが変わっても待っていてくれたし、ネタを持ち帰ると朝用の原稿を書いて、店仕舞いが近い天文館の行きつけのスナックで飲ませてくれた。

お盆や年末年始になると自宅に記者、カメラマン、編集マンを呼んで、奥さんの手料理で労ってくれ、担当を超えた交流の場を作ってくれていた。中でもY野さんが”半端ない”のは、◯HKだけでなく、地元のテレビや新聞記者も招いて、呉越同舟の飲み会をやってくれていた点だ。それも昼過ぎから始まって、終わるのは深夜近くまで。中には子どもを連れてくる人もいて、それは香織ちゃん、菜摘ちゃんの小学生、幼稚園年長の姉妹が面倒をみていた。後片付けが大変だっただろう。すみませんでしたね。

40年近く経っても、鹿児島に帰るとY野さんの話題が出るのは、そのためだと思う。彼が岡山局に異動になった時の西鹿児島駅(今の鹿児島中央駅)ホームは、各社や取材先の人の見送りで溢れ、駅員が整理に出たほどだった。

これだけでも、指物師やガラス細工の職人たちと同じ気っ風、剛毅さ、生活形態、生き方が似ていると、その頃から思っていた。

▲前の◯HK鹿児島放送局(天保山)

「職人」という言葉に惹かれたのは、当時鹿児島にいたY本忠❓さんというアナウンサーが、薩摩焼の大御所にインタビューして帰ってきた時に聴いた話からだった。

Y本さんが、大御所に「職人技は一日にして成らず」の様な話をしたら、大御所が怒ったか、不機嫌になったという様な話で、たまたま他のアナウンサーたちにしているのをそばで聞いた。彼は、陶芸家その人を褒め称えたつもりなのだろうが、「俺は、職人なんかじゃない、芸術家なんだと言いたいのだろう」というオチだった。おそらくY本さんは後輩のアナたちに、大御所のことを揶揄したわけではなく、他人の認識や気持ちは測りきれないことを教えたかったのだと思う。

この時以来、私は「記者は職人である」という言葉を口にする様になったし、人にもそう言って来た。今は知らないが私がいた頃の社会部は、ほとんどが「職人記者」の集団だった。まぁN嶋太一ちゃんやK田真ちゃんがいるから今も昔と変わらないのだろう。むしろ我々の時以上にスクープをバンバン出しているし。

「おまっさん、何をバカなことを言ってるの、プンプン❗️今更改めていうほどのことじゃないわ。当たり前じゃないの」と◯HKエース記者のK端美幸ちゃんあたりに蹴りを入れられそうだけど。

▲誰もが知っている『ニュースの職人』

数年前だかに元M日新聞記者で、民放のキャスターなどをしていたT越俊太郎さんが、『ニュースの職人』という新書を出していたが、彼も同様に考えているのかなと思ったことがある。ごめんなさい🙏🙇‍♂️🙏🙇‍♂️今度読みます。

『ざくろ坂下』の話は、記者には、地べたを這いずり回って取材する「職人記者」と、特集の前に現地に行き、すでに「職人記者」やディレクターたちが、事前取材やリサーチしてくれた場所や人にポンポンと当たって、リポートしていく記者やキャスターたちの様な「芸術家」がいるという意味の話をしたのだ。

▲『職人記者』の典型

だから◯HKから◯BSに移籍したK田靖さんのように「職人記者」が語ると、ついついプロは、首肯しながら画面に見入ってしまうことになる。彼は今も多忙の中、時間を作っては、東北の被災地に足を運び、取材を続けている。また自分も体験した阪神淡路大震災の被災者たちとの交流も続けていると仄聞する。

▲『実証•検証解説ジャーナリズム』の分野を構築。

この前話し足りなかったのが、「職人」でも「芸術家」でもない「解説評論」記者の話だ。これまでも、今も「解説記者」は、あるにはあるジャンルだが、これに「実証•検証取材」という手法を取り入れたのが、I上彰さんだと思う。大学の授業でも、日本のメディアに「実証•検証•解説ジャーナリズム」という新たな分野を構築したジャーナリストとして紹介している。

この「解説評論」記者の難しいのは、現役の記者がこれだけに陥ると、今なら現場に行くことなく、インターネットを駆使して、記事を書いてしまう、いや書けてしまう点だ。「データージャーナリズム」が流行りの昨今だが、それは利用する道具として価値があり、大いに活用して行くべきだと思っている。

だがそこだけで完結してしまうと、記事を書く者を表記する「記者」が、用語上は成立してしまうところに、私の様な古い記者は危ういものを感じ取ってしまう。

ぜひ現役の記者諸君には、韓流ドラマ『ピノキオ🤥🤥』を見て欲しい。そこには、たくさんの「記者の職人」が登場している。

▲慈恵医大(旧館)

以前書いた、夜回りや朝駆けをし過ぎて電車内で倒れ、救急車🚗🚘で慈恵医大に担ぎ込まれ、入院した女性記者も「記者の職人」だった。ただ、いまのご時世、こうした行為は、批判されることこそあれ、評価されることはないし、評価してはならないのだと考えるようになった。

https://ironna.jp/article/8649

この辺についての私の考えは、S経新聞デジタル『IRONNA』に、「全国の社会部記者に教えたい、サボりのススメ」で、詳しく書いてある。とにかく『ピノキオ』( 『WOWOW』でいま午前7時〜放送中。これから佳境に入る)を現役の記者諸君には、見て欲しい。TSUTAYAで借りられる。

「記者は取材してナンボ」は、M日本新聞のM留三朗師匠の言葉だ。誰でも言える言葉ではあるが、三朗さんがいうと言葉に血が通う。このところのA日新聞のスクープ記事そを読んでいて、益々その思いを強くした。

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