豊島区役所から『トキワ荘マンガミュージアム』で開催される「寺田ヒロオ展」の招待状が届いた。義理堅い区役所で、6月27日のプレオープニングに続いて2度目だが、以前私が「1番好きな漫画家が寺田ヒロオさんなんです」と話したから担当者が気を利かせてくれたのかもしれない。一日早い今日は関係者やメディアを対象にした事前開催だった。午前10時の開催で6月のミュージアムプレオープンの時と同様セレモニーがあるので、今回はそれを避けてゆっくり出かけた。(ニュースでは、藤子不二雄Aさんが初めて訪れ、「60年前を再現していただいて、見たら泣きそうになりました」と紹介されていた)そのせいでゆったり余裕を持って見ることができた。
寺田さんとは、亡くなる1年前にお会いしたことがある。これはすでに書いたかもしれないが、『漫画少年史』が国書刊行会から出るにあたって企画ニュースにする予定で取材していたが、無尽蔵殺人事件が起きて、警視庁キャブに「そんな暇ネタは誰か別のやつにやらせればいい」と言われて断念したことがある。寺田さんにはとても悪いことをしたと心苦しく思っているうちになく亡くなってしまわれた。
これも既に書いたが、子どもの頃は、「スポーツマン金太郎」「スポーツマン猿飛佐助」「背番号ゼロ」「暗闇五段」が大好きで、漫画はいつもそこから読み始めた。寺田さんは健全な児童漫画がドンドン隅に追いやられ、過激で、エロ、グロ漫画が雑誌を侵食し始めた1970年代に、筆折って茅ヶ崎で静かに暮らしているといった話を聞いたことがある。
ミュージアムはセレモニーは終わった後だったのに、予想以上に来場者が多く、2階には寺田さんの住んでいた22号室を再現した部屋が設けられ、テラさん創案の「チューダー」(サイダーの焼酎割り)の空き瓶や絵描き用のデスクが置かれていて、そこには若かりし頃の寺田さんが座っている様な夢の世界が広がっていた。
1階には「寺田ヒロオコーナー」が特設され、(撮影禁止で見せられないのが残念だが)懐かしい作品がこれでもかこれでもかと並べられていた。久しぶりに「漫画少年」に出ていた寺田さんの作品も観ることができた。小学校の3年、4年は、ジフテリアや猩紅熱で長い期間寝たきりだったので、スポ金、佐助、背番号ゼロが最高の友だちだった。
出口にあるショップには、寺田作品の絵葉書や缶バッチ、クリアファイルが並んでいたので、この機会しかないと片っ端から買ったことは言うまでもない。