なぜ今、志ん朝なのか。猫も杓子もというけれど、このところテレビでも雑誌でも古今亭志ん朝の特集を目にする。NHKの特集はDVDに残したほどだ。思い当たるのは没後20年。とはいえ亡くなったのは、秋だったような・・・と思ってGoogle先生に訊いてみたら、2001年10月1日とある。よく覚えている。癌を発症して、気づいたらもう末期だった。
63歳の若さ、ショックだった。子供の頃からのファンで、しかも考査室という凄〜く時間に余裕がある部署に異動した直後だったので、CDを全て手に入れてよく聴いたもんだ。私は身体も心も病んだ時は落語を聞く。
<週刊現代で特集>
落語を好きになったのは。小学3年生の時で、ジフテリアに罹って半年ほど学校に行けず居間から離れた奥の8畳に隔離され、安静と栄養とかで寝たきり生活だったからだ。5年生のときには猩紅熱にかかり、この時も3ヶ月以上休んでえいたのでラジオを愛用していた。特に3年生の時は、すでに家にテレビもあったが、まだまだラジオの方に馴染んでいて歌謡曲より落語が圧倒的に好きだった。
小学生の頃は、3代目三遊亭金馬、中学時代は6代目三遊亭圓生、高校生の頃は10代目金原亭馬生(志ん朝の実兄)が贔屓で、上京して以降はいつしか志ん朝(3代目)に魅せられていた。他にもいろんな噺家のレコード、確かキングから出ていた(まだ馬生、志ん朝はなかった気がする)のをよく聴いた。志ん朝師匠は、若い頃は『若い季節』や『鬼平犯科帳』などのテレビドラマに出ていたが、ある時から高座以外では見なくなった。獨協学園の出身で、故小島晋治先生が教えていた頃、いたのではなかったか❓
とにかく「上手いなぁ~」と聞き惚れたもんだ。私は4人のうち、生(なま)は圓生師匠しか、見聞きしたことがないが、CDを聞くたびに感嘆する。馬生師匠は地下鉄日比谷左遷の銀座駅で羽織袴姿のところ見かけたことがある。
「今どきの噺家は・・・」と老人のようなことは言わないが、NHKやTBSの落語番組を録画して見ていても、最後までという上手い噺家は極めて少ない。最近江戸落語と上方落語を同じテーマで競演する面白い企画が始まって必ず録画して見ているのだが、これまでに上方の噺家で1人うまいというか面白かっただけで、正直がっかりした。上方落語では、桂枝雀は天才的に上手かった。今の噺家が気の毒なのは、CDやDVDによって往年の名人と比較されてしまうことだ。どんな古株だって圓生師匠や志ん朝師匠に比べられたら、やってられないわな。