7万円の接待が注目を集めている。そりゃそうだろうなぁ。退職後、大出版社からご馳走になったことがあるけれど、それでもこの額は「ありえへん」。私が『B級グルメ』シリーズ(文春ビジュアル文庫)を5冊(共著)も書けたのは、SNSの無い時代に安くて美味い店を寸暇を惜しんで❓探し求めたからだ。
取材先と中野や新宿、新大久保、恵比寿の居酒屋、焼鳥屋、寿司屋に行っても、高い❗️と言っても、せいぜい2人で10000円〜15000円止まりだった。第一高い店そのものを知らなかった🤣🤣🤣。未だにクラブは、記者クラブしか知らない。このまま、あの世に行きそうだ。あっヤメ検の弁護士に1回だけ銀座のクラブに連れて行ってもらったが、座って10分もしないうちにポケベルだったか携帯だったかが鳴って事件で呼び出され、そのまま戻れなかった。そのときの弁護士とは、今も仲良しだが、クラブに行くことはない。あれに懲りているのかもしれない。
逆に記者の飲み会に招かれて来る特捜部長や副部長の中には、I 川達紘さん、I 十嵐紀男さん、T 野利夫さんのように、「寸志」と書いた封筒を幹事に差し出す人もいて大いに恐縮したし、同じ部長や副部長でも違いがあるのが面白かった。総務省の連中も3人から研修を受けた方が良い。あっかれらは収賄容疑で逮捕される恐れがあるが側だから呼ばんわなぁ。
この3人にご馳走になった記者は多いだろう。ヤメ検は弁護士になったら破格の高収入だが、検事時代は記者から見ても決して多くはなかった。民放や朝日新聞に比べたら、それは比較にならない安さだったと思う。それだけに今でも、昔の仲間と飲むと3人のことが時々話題になる。特にカラオケ好きの I 十嵐さんには、皆よく誘ってもらった。記者の数も多かったから、「割り勘にしてください」とこちらが必死でお願いしたし、最年長の仕切役、東京新聞の村串栄一(故人)さんが、さっさとみんなから割り勘分を集めて払わせないようにしたりと、思えば微笑ましい関係だった。今の司法記者たちはどうしているのだろうか❓それにしても検事たちとの飲み会は多かった。連チャンの日も珍しくなかった。今と比べたらあれだけ事件をやっていて、そりゃタフというか壮絶だった。
支払いでいえば、取材費が貰える社とそうで無い社とがあったので、検察担当の幹事社になると、飲み屋を探すのにも気を遣った。新橋でさんざん飲み食いしても、1人2000円ぐらいの赤ちょうちんでよく飲んだ。これはこれで検事たちも大いに喜んだ。特捜部長のY口悠介さんから、「あそこはいいなあ」と言われたぐらいだから気に入ったのだろう。庶民がいい。そんなマメな幹事の一人が、今では日本を代表する新聞社のトップになっているのは、あの頃からの、自然な気配りが実を結んだのかもしれない。振り返れば、司法記者時代は、とにかくシンドイ分、愉しかった。