名物記者の訃報(1401)

文化の日。授業があるので、遠出することもなく、ゴミダメになっていた書斎をせっせと片付ける。新聞、週刊誌、月刊誌を必要な記事だけ切り取ると随分スッキリした。

古い知り合いの松田賢弥さんが10月8日に肺炎から心不全で亡くなったのを、週刊文春の記事で知った。彼がまだ書店を対象にした『新文化』という業界紙の記者をしていた頃、その会社の上の階が解放出版だったことから解放同盟の広報担当だったK林健二さんやT井みゆきさんたちと神保町の居酒屋で何度か飲んだ。その後フリーランスのライターになってからも2度吉祥寺で飲んだ。吉祥寺というのは、彼が確か前進座の近くに住んでいたからで、私の夜回り先がその近くにあって、帰りに待ち合わせた。「彼女が出来た」と例の独特のタラコの様な下唇をフヒフヒ動かしながら嬉しそうに話していたのを思い出す。

その場にいない人は皆呼び捨てだったから、きっと私のことも、他所では「小俣、小俣」と言っているのだろうとその時思ったのを覚えている。『新文化』当時、私の彼女とも何度か一緒に飲んで、訳ありの事情をよく知っていたので、こちらも気軽に何でも話せるようなところがあった。まだ30半ば過ぎの頃のことだ。

享年67と言うから私より歳下だったのだと初めて知った。凄いガッツがある割に人懐こい性格だったが、そばに来るといつも暑苦しかった。いろんな特ダネを書いても、何故か孤高を守るようなところが好かった。それはフリーランサーの矜持のようにも思えた。文春の記事は、とても好意に満ちたいい内容だった。ご冥福を祈る。

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