鏑木清方展(1501)

鏑木清方展に行って来た。水曜日に千住大橋の立ち食いそば屋に行った帰りに、上野駅で降りて美術館を探したら大いなる勘違い。毎日新聞社横の『東京国立近代美術館』だった。これから連休が始まるし、土曜日、日曜日は混むに決まっているだろうから、5月8日までの会期中で、今日(4月22日)を外すとちょっと難儀やなぁと思ったからだ。

私のような美術の門外漢がわざわざ足を運ぶのは、ゴッホやユトリロ、シスレーなど限られた画家のもので、日本画家では初めてかもしれない。清方の絵を初めて認識したのは、切手だった。確か東京に出て来たばかりの頃(調べたら1971年発売とあるから上京の翌年、19歳の頃のことだ)、少年時代に切手マニアだったこともあって郵便局に行くと記念切手を貼り出した掲示板を見るのが習慣だった、今でもそうだが。それでたまたま買ったのが『築地明石町』だった。「いい女やなぁ」と感動した。私は中学生の頃から若尾文子さんの熱烈なファンで、重ね合わせていた。

その実物に会えるとあってワクワクしながら会場を回った。作品を観た途端、金縛りにあったような、ちょっと動けなくなった。作品の前に長椅子が置かれていたので、しばらく座っては、また近づいて観る、を繰り返した。絵でワクワクするなんて、そう滅多にあることではない。とても豊かな、満たされた気持ちになった。

今回掲示された解説を読むと初めて知ることばかりだったが、中でも彼の父親が条野伝平だったのにはビックリした。メディア関係者には、すぐ分かるだろうが、伝平は東京日日新聞(今の毎日新聞)の創設者だ。当時、子どもの頃から優れた師について絵を学ぶことが出来たのは、実家が裕福だったか、家庭環境が整った人が多かったのだろうか、興味深かった。

もっとゆっくり見ていたかったが、次の予定が控えていたので、定刻主義者の私は気が気ではなく、午後2時半に会場を後にした。

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