昨年11月22日に亡くなった喜多條忠さんの『偲ぶ会』が、平河町の『海運ホール』で今日(4月22日)開かれ列席した。10分前に到着したが、会場は400人余りの関係者で、立錐の余地がないほど埋まっていた。キャンディーズの「暑中お見舞い申し上げます」だろうか、懐かしい歌が流れるなか最後列の椅子に座った。
会は午後3時の定刻通りに始まり、氏の略歴などが司会者によって紹介された。ほとんど本人から聞いて知っていることばかりで、目新しい内容はなかったが、1つ喜多條さんらしいなぁと思ったのは、ゴルフ帰りの車の中で、みんな疲れてウトウトしていた時、突然「今渡った川は」と川の名前をなぞっていたのが、その後作品になったとのエピソードだった。
迂闊にもその川の名前を聞き逃してしまったが、それが第50回日本作詩大賞を受賞した「肘川あらし」だったかもしれないし、そのあとこの作品についてるる説明があったので、混同しているかもしれない。作詞大賞を受賞する何年か前に飲んでい時、「今度、この作品で(作詞大賞が)獲れるかもしれない」と話していたが受賞しなかったので、やはりこれだけの大家でも大賞が欲しいのかなと思ったことをよく覚えている。それだけに受賞した時は、とても嬉しかったことだろう。賞と無縁の私は、もっと熱心に話を聞いて、受賞直後の2018年(前年の12月受賞)の正月にでも一緒に飲んで祝えば良かったと後悔した。
会の後半からは、石川さゆりさん、五木ひろしさん、南こうせつさんが、次々と思い出を語ったが、3人とも実に話し上手だで、自分の言葉で思いを伝えていたのが印象的だった。五木さんとは因縁があったようで、独立した直後の第1弾として喜多條さんに作詞を依頼、宇崎竜童さんの作曲で「蝉時雨」を発売したが、「思ったほど反響がなかった」と内訳話しをしていたのが印象的だった。独立10周年には平尾昌晃さんの作曲で「港・ひとり唄」、2008年には三木たかしさんの作曲で「凍て鶴」を発表し、これは2年連続紅白歌合戦で歌ったと話していた。私もこの年は珍しく紅白を見て、この歌を聴いた。この「凍て鶴」と言う題については、喜多條さんと飲みながら話したことを既に書いたと思う。
最後のこうせつさんと五木さんの、突然の掛け合いは、笑いを誘った。2人は10人抜きの歌謡選手権で、グランプリを争った仲だったそうで、まだデビュー前の五木さんが、出来たばかりの新曲「横浜たそがれ」を洗面所で、それもすぐ目の前で歌って聞かせたことや、3年後に「神田川」が大ヒットして、NHKのスタジオで再会した時の喜びは忘れられないというエピソードには、会場のみんなも聴き入っていて静かだった。
会が最高潮に達したのは、そこで思いがけず、こうせつさんと五木さんが「神田川」をデュエットで歌い始めた時だった。五木さんって中々場を心得た人だなと感激した。司会者がびっくりした以上に、ご家族はもっと驚いたことだろう。こうせつさんは、喜多條さんと「儲けて青山にビルを建てようなんて若い頃話したけれど、私はビルどころか田舎で家庭菜園造りですよ」と笑わせたが、その田舎というのが私の郷里杵築で、こうせつさんの家は空港からすぐのところにあるらしい。
お礼の言葉も、喜多條さんの奥さん、輝美さんらしい内容だった。「わがままで面倒くさい人でしたが、愛情深い人でした。時々は思い出して愛のある悪口を言ってあげてください」には、会場から笑いと同時に温かい拍手が送られた。彼女とはひとこと献花の後、言葉を交わした。とても好い『偲ぶ会』だった。会葬御礼が、実家❓『天満 大阪昆布』の「松茸昆布」だった。帰ってから封を開いて、「喜多條さんといえば、ここの昆布だよね」と家人と話し合った。大きな昆布をよく貰った話もすでに書いた。