すでに朝刊で読んだ人も多いかと思われるが、11月30日に原寿雄さんが亡くなられた。散歩の帰りに自宅前で転んで、救急車で運ばれたが、そのまま病院で息をひきとったという。万年青年のような方で、軽く100までは生きると思いこんでいたから、「何でやねん」と驚いた人は、多々いると思う。
▼改めて書くまでもないが、原さんは、共同通信社の記者時代に、「菅生事件」(駐在所爆破事件)で、警察官たちの犯罪を暴いた調査報道を手掛け、後に社会部長や編集主幹、株式会社共同通信の社長をしたジャーナリストだ。私は『消えた警官』(講談社)の取材で話を聴いて以来、しばしばお会いするようになり、自宅🏠にもお邪魔して、その都度奥様の手料理で愉しい時を過ごした。
▼「調査報道」を扱った論文を書いた時には、事前に読んで気付いた所を指摘してもらった。出版社・弓立社を引き継いだ時は、かつての名著『デスク日記1〜5』(みすず書房)から現代に通用するものをご自身に選んでもらい『原寿雄自撰 デスク日記 1963〜68 』として、再び世に送り出した。
▼学生時代に旧版の『デスク日記』を愛読したので、メディア志望の学生たちが読んでくれるかと思ったが、それ程のことはなかった。今の若者は、いや企業ジャーナリストたちは本を読まないことを知るきっかけでもあった。
▼東京駅から満員電車に乗った時のことだ。満員電車で立錐の余地もなかった。私は老人に席を譲る気のない乗客たちに向かって「ここにいるのは、88歳のお年寄りです。辻堂までですが誰か席を譲ってくれませんか」と大声で叫んだ。すぐに中年の男性が数人立ってくれて、横浜までの私まで座らせてくれた。「やるねぇ一平さん!」と褒めてくれた。とにかくオヤジのような人で、左だったか右だったか、不自由な耳の側から話しかけると、息子の様によく叱られたことも好い想い出だ。
▼親しくさせて戴いた本田靖春さん、福田肇さん、むのたけじさん、そして原寿雄さんと尊敬するジャーナリストが次々と鬼籍に入る。それだけ私も歳を取ったと言うことだな。